明日からちゃんと嫌いになるから
「――そう。六花のことまで心配してくれて……。泉には本当に申し訳ないことをしたわ。孝典が全部押しつけさえしなければ、籍まで抜いて出ていくこともなかったでしょうに。なんだかあなたたち親子を引き離してしまったみたいで……」

「――そんな! 縁は切れていませんから、問題ありませんよ。子はいつか巣立っていくものですから。それに私たちは孝典さんにとても感謝しているんです」

「――ならいいんだけどねぇ……」

ああ……と、なんとなく腑に落ちるものがあった。もしかしたらと、以前から思うところも確かにあったのだ。

六花は呼吸を整えながら、一度数歩後ろに下がる。そしてわざと足音をたてて、大きめの声を出した。

「おばあちゃーん、ここにいる?」

今のは六花に聞かれると思って話した会話ではないのだから、特に真由美の前では知らないふりをしたほうがいい。だから、六花はたった今来たように装うことにした。

「六花、早かったのね」

「六花ちゃん、おかえりなさい」

祖母と真由美はそこでお茶を飲んでいた。

「振袖の出来上がりが楽しみで。……お義母さんも、もうこっちに来てたんだ」

二人とも六花の早い来訪に少し驚いていたので、意識してにっこりと微笑んでみせると、安心した様子に変わる。

「おや? そんなに楽しみにしてくれていたのかい? てっきり興味なんてないのだと思ってたけれど」

「ドレスでも着物でも、素敵な衣装を着せてもらえる機会はそうないから、嬉しくはなるよ」

「よかった。六花ちゃん、あまりお見合いに乗り気じゃないかもって心配していたところだったの」

「会ってみて違うと思ったらちゃんと言いなさいな、六花。私が責任もってどうにかするから」

「それは頼もしい。お父さんの負けが決まったようなものね。……もし本当に嫌だったら、二人にはちゃんと言うよ」

やはり、どう考えても自分は恵まれていて、なにも悲観することなどない。六花はそう言い聞かせてゆっくりと瞬きをした。

「おばあちゃん、お義母さん。私、幸せになるから……きっと大丈夫だよ」

 大丈夫、幸せになる。それは自分に言い聞かせたい言葉でもあった。


   §


午前中は衣装合わせをして、そのあと三人で昼食をとった。土曜日のこの日も、なにかと忙しい父は不在だった。どうも東京へ出張中とのことで、明日帰宅予定となっている。

六花は真由美や祖母とお見合いのことや、それ以外の他愛のないおしゃべりをして、夕方四時頃に実家をあとにした。

そこからバスに乗ってはみたが、いてもたってもいられなくなり、降りるべき停留所を通り過ぎる。バスの経路では住まいのひとつ先が駅前ターミナルで、六花はそこで下車する。そして電車に乗り換えて二駅――。

目指したのは泉の住むマンションだ。その場所に訪れたのは、六花が大学四年の……二人が決別したあの日以来だった。

(確か、引っ越してはいないはず……)

泉のマンションは、築年数があるものの、内装は完全にリノベーションされたデザイン性の高い部屋になっている。共有の入り口にオートロック機能はないので、直接上階へ上がる。

五〇七号室。部屋番号までしっかり覚えているのが未練がましい。

ものすごく緊張している。予告なく訪ねたら、きっと泉は迷惑そうな顔をするだろう。でも約束を取り付けようとしても、きっと断られてしまうから、これ以外方法がなかった。

インターフォンを押すと、しばらくはなんの応答もなかった。……不在だったかと諦めて帰ろうとした直後、スピーカーから声が聞こえてくる。

『――はい』

泉は在宅だった。

「あの、六花です。……話があって、ごめんなさい」

どもりながら、どうにか伝える。すると泉は『待ってて』と短く返事をくれ、しばらくすると扉が開いた。

「……なにかあった?」

顔を出した泉に対して、六花は小さく首を振る。

ずっと共有通路にいるわけにもいかず、とりあえず玄関の内側に入る。昨日と立ち位置が逆になっていた。広がった身長差のせいで、泉と目を合わせるには見上げるようにしなければならなかった。

泉が気まずそうにしているのは、きっと彼が身なりを整えていなかったからだ。スウェット姿で、髪はボサボサで、無精髭が生えている。とはいえ、かつて同じ家に住んでいたのだから、この程度の姿は見慣れている。

ただ……昔と違ったのは、わずかにお酒の匂いが漂っていたことだ。
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