キスは契約違反です!! ~年下御曹司と期間限定ルームシェア~
 出勤して、昨日の続きから業務をこなす。午前中いっぱいで、部門間ミーティングの資料作成を終えた。お昼休憩に向かおうとしたところで、隣の課の後輩からランチに誘われた。

 後輩――瀬尾ちゃんは、彼女が新卒で入社した年に私がメンターを務めた。その縁で、違う部署になった今でも、困りごとなんかを相談してくれる。

 オフィスの近くの、カジュアルなオーガニックカフェに向かった。オーダーを通したところで、瀬尾ちゃんが照れくさそうに切り出した。

「私、結婚するんです」

「ええ、そうなんだ。おめでとう!」

 声のトーンが自然と上がった。静かな雰囲気のカフェなので、あまり声を大きくできないのが少しもどかしい。

「ありがとうございます……」

 瀬尾ちゃんは幸せそうに笑って、婚約者について教えてくれた。前に少し話してくれていた、趣味が同じの年上の彼だ。

「結婚式、絶対来てくださいね」

 上目遣いの瀬尾ちゃんに、もちろんと頷けば、彼女は嬉しそうに笑って話を続ける。

「私、もともとは、結婚したら仕事を辞めるつもりだったんですけど……でも、匂坂さんに教えてもらったこと、まだ終わりにしたくないって思って。産休も育休もフルに使って働きます」

 もうすぐに指輪が嵌まる予定の、左手の薬指。きっと無意識に右の指先でなぞりながら、瀬尾ちゃんが続ける。

「結婚だけじゃなくて、働くことも幸せだって知ったの、匂坂さんのおかげです。本当に、ありがとうございました」

 幸せな笑顔で、宝物みたいな言葉をくれるから、うっかり泣きそうになってしまう。

「わー……どうしよう。今、瀬尾ちゃんの親御さんになった気分……」

 しみじみと呟くと、それには、「何言ってんですか」と遠慮のない突っ込みが飛んできた。

「だって、瀬尾ちゃんが新卒の頃から見てたから」

 笑いながらそう返すと、

「……それなら、私もお姉さんを取られたみたいな気分です」

 瀬尾ちゃんが、むうっとくちびるを尖らせる。

「結局、如月さんが取っていっちゃいました」

 せっかく宮西さんが自滅したのに――と、なかなか辛辣なことを言う。
 私が苦笑していると、はたと気づいた顔をして、瀬尾ちゃんが声のトーンを上げる。

「でも! 匂坂さんが幸せなら受け入れるんです!! 結婚式には呼んでくださいね!!」

 その勢いに気圧されて、

「う……うん」

 と、頷いてしまった。

 そこで、注文していたセットメニューのサラダがやってきて、話はいったん中断になる。

 フォークを手に持ちながら、私たちの契約について、束の間思いを巡らせた。

 私を愛さない、と如月くんは契約した。
 その契約を終わりにしてほしい――なんて、そんな一方的な通告が果たして受諾されるのかな。
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