キスは契約違反です!! ~年下御曹司と期間限定ルームシェア~
 目を見ひらけば、如月くんに手を振り払われた結衣が、ひどく驚いた顔をしているのが見えた。

「……言い寄ってくる女性には慣れています」

 御曹司、と言われるような暮らしをしてきたので。――そう続けた如月くんの声が、微かな笑みをはらむ。

「大胆な格好も甘い香水も、使い古された誘惑術ですね」

 その言葉を聞いた結衣の頬に、屈辱の熱が差す。
 相対するふたりの様子を力なく見上げていると、不意に、如月くんが私のほうを見た。ひどく優しい眼差しをして、

「ゆっくり息を吐いてください」

 と、言った。

 私は首の動きだけでかろうじて頷いて、呼吸の速度を緩めようとした。
 だけど、意思と裏腹に呼吸はさらに上擦っていく。

 すみません、と如月くんが呟いたような気がした。自分の呼吸音がうるさくて、ちゃんと聞き取ることができなかった。

 如月くんは、小刻みにふるえる私の手を握った。そうして上体を屈めると、私のくちびるにみずからのくちびるを重ねた。

 ――刹那、上擦っていた呼吸が呑み込まれる。
 時の流れが、束の間曖昧になる。

「……大丈夫です。俺がついています」

 あやすような力加減で抱きしめられて、私はようやくゆっくりと息を吐く。
 私を抱きしめたまま、如月くんが結衣を見上げる。結衣は、表情をぐちゃぐちゃに歪めてその場に立ち尽くしていた。

 如月くんが、緩やかに眼差しを動かす。

「俺があなたを部屋に招いたのは、姉を訪ねてきたとあなたが言ったから。あなたを無下にできなかったのは、あなたが――大切なひとの妹だから」

 とくん、と私たちのさなかで心音が響いた。それが私のものなのか如月くんのものなのか、明確にはわからなかった。

「それ以上の理由はありません。他に、何か言いたいことがありますか?」

 穏やかな口調で、如月くんが結衣を突き放す。
 結衣はぎゅっとくちびるを噛んで、脱ぎ捨てていたミュールをつま先に引っかける。

 ――結衣、と花びらみたいなワンピースをひらめかす背中を呼び止めたかった。
 でも、私には何も言えないと諦めたところで、如月くんの声が言った。

「俺の大切なひとは、彼女の妹のことを大切に思っています。料理が上手で、何でも丁寧に頑張る子だ、って」

 ドアノブに手を掛けた結衣が、動きを止める。
 世界が弛んだような一秒のあと、

「そういうところが、嫌いなの」

 と、結衣が呟く。

 静かな息遣いと涙の気配を残して、結衣は部屋を出ていった。
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