おやすみなさい、いい夢を。
病室に静けさが戻った。
さっきまで鳴り響いていたモニターのアラームが嘘のように、波形は安定している。
バッグを外し、酸素マスクを整え、彼女の呼吸を確かめてからようやく背筋を伸ばした。
深く、長く、息を吐く。
冷えきった指先にようやく血が戻ってくるのを感じた。
(……助かった。今回は)
隣の看護師が小さく頷き、部屋を出ていく。
そのあとには、沈黙と、かすかな酸素の音だけが残った。
視線の先。
壁際で縮こまるように立っていた中野さんが、制服の裾を握りしめたままこちらを見ている。
肩が小刻みに震えていた。
「……ごめんな。怖かっただろ」
言葉を選ぶ余裕なんてなかった。
ただそれだけを、どうにか搾り出した。
彼女はかすかに首を横に振る。
何かを言いたげだったが、声は出なかった。
(……あぁ、見せたくなかったな、こんなの)
「……大丈夫。なんとか、落ち着いたから」
目を逸らすようにベッドサイドの机の方へ向き直った。
そこに、一枚のパンフレットが残されているのに気づく。
《東都心大学 経済学部》――と印字されたタイトル。
開かれた跡もなく綺麗だった。
その冊子を指先でそっと拾い上げ、裏返す。
明るい笑顔の学生たちが写った写真。
そのあまりにも“健康的な”光景が、胸に痛いほど突き刺さる。
(――大学、か)
無意識に、唇を噛んだ。
目の前の少女が、あの光景の中に混ざる未来はもう訪れない。
わかっているのに、信じたくなかった。
机の上にパンフレットを戻し、静かに背を向けた。