おやすみなさい、いい夢を。
嵐の合間 Hinata Side.
電子カルテの画面に、理緒の波形が淡く揺れている。
SpO₂も心拍も、ようやく安定した。
再灌流後の反応としては、悪くない。……本当によく耐えてくれた。
ナースステーションの奥、小さなカンファレンスルーム。
ーー理緒が急変した数日後のことだった。
ようやくICUでの経過観察も終わって、一般病棟に戻す計画を立てていた最中。
機械音と雨の音だけが、静かに響いていた。
周囲には、研修医と看護師、そして上級医たち。
そのどの顔にも、わずかな安堵と、深い疲労が滲んでいた。
俺は腕を組んだまま、モニターを見つめた。
体の奥に残る緊張が、まだ抜けきらない。
「……落ち着いている今のうちに、二週間ほど一時退院させてやりたい」
自分の声が、部屋の空気を割るように響いた。
「一時退院、ですか?」
研修医の一人が顔を上げる。驚きと迷いの混じった瞳。
「そうだ。
薬物療法で心拍は安定している。心拡大の進行も、いったん止まっている。
……このタイミングを逃したら、次はもう外に出られないかもしれない」
口にして、自分でもその言葉の意味に胃の奥が重くなる。
沈黙。誰もが“それ”を理解している空気。
「……でも先生、それって——」
「分かってる。リスクは高い」
思わず声を重ねる。
「けど、彼女まだ十七歳だ。
家で食べるご飯の味も、友達との日常も……もう一度だけ感じさせてやりたい」
一瞬、会議室が静まり返る。
誰も反論はしなかった。
「先生らしいですね」——誰かが小さくそう呟いた。
上級医がメモを取りながら言う。
「……わかりました。ご家族に連絡します」
俺は軽く頷き、カルテの端に記録を残した。
“状態安定、近日中に家族面談予定。退院検討。”
ペン先が止まり、静寂が訪れる。
机に肘をつき、額を押さえた。
深呼吸をしても、胸の奥の重さは抜けない。
(……二週間。たったそれだけでもいい。
せめてその間だけでも、あの子が“普通の生活”を取り戻せますように)
祈るような沈黙が、会議室を包み込んだ。
窓の向こうでは、雨がゆっくりと止みかけていた。