隠れ許嫁は最終バスで求婚される
最終バスで、求婚したら ──Side Kazuki
「十和栗車庫行き、まもなく発車いたしますー、お乗りになってお待ちくださーい」
九月中旬、連休前の金曜日。時刻はまもなく二十時三十分。新旧の住宅地を経由する山の麓の中枢にある車庫行きの最終バスは、ふだんと変わらない混雑ぶりを見せていた。
ふと、駅前のバス乗り場から真っ先に乗り込んできた女性に既視感を感じたが、いちばん後ろの席に座ってしまったため視界から見えなくなってしまった。夜になると涼しくなるというのに薄い夏仕様の生成り色のワンピースの袖が、バックミラー越しにちら、ちらと映っている。
腕時計の針が一回りする。出発のブザーを鳴らし、扉を閉める。いつものように最終バスは動き出す。
俺がバスの運転手として勤務をはじめてもうすぐ半年になる。日常生活の足として、不特定多数の乗客を安全に運ぶ仕事は大型トラックドライバーのときと同じくらい、いや、それ以上に緊張感があった。
長距離と異なり歩行者や自転車に気をつけながら住宅街の細い道を毎日同じ時刻に通るという運転技術を磨きながら、病に倒れた父の介護に明け暮れる日々に新鮮さはなかったが、生まれ育った土地だからか転職後も穏やかな気分で過ごせている。
『そろそろおでを安心させてはくれねえのが』
とはいえ脳梗塞で倒れて以来、言語障害と四肢の麻痺が遺った父はことあるごとに俺に「結婚」の文字をちらつかせるようになっていた。長距離トラックの仕事をしていたときは「結婚」の二文字から逃げまわるように日本全国を走っていたが、年老いて弱った父を見たことで、俺もまた考えを改めはじめている。
――じいさまみたいにぽっくり逝かれたらたまったもんじゃない。どうにか相手を見繕って形だけでも「結婚」しなくては……。