隠れ許嫁は最終バスで求婚される
両手で顔を覆っても、あの夜のぬくもりは消えない。勢いで初恋のお兄ちゃんに告白したら、逆に求婚されて、そのうえバスのなかで……。
自分も彼もオトナになって、幼い頃と同じじゃいられないことはわかっていた。とはいえすぐさま結婚となると想像がつかない。
幼馴染で初恋のお兄ちゃんだ。彼に求婚されて嬉しくなかったわけがない。だからバスのなかで「結婚しよう」って言われて素直に頷いたのだ。それでもずいぶん急だなと今になって驚き慄く自分もいる。
「結婚、結婚……夢じゃ、ないよね?」
一季さんの今日のシフトは午前で終わるのだと言っていた。終わったらあたしの実家に来てくれる。たぶん、そのときにもっと具体的な話をするのだろう。
昨夜のことが、まだ夢みたいに色鮮やかに残っている。薄暗い車内で寄り添うように座ったシートで、静けさに溶けていった、心地よい低い声。柔らかい、湿った唇。これが夢じゃないことは一夜をともにしたぬくもりが証明してる。あたしは確かに彼から求婚、されたのだ。最初に告白したのはあたしだけど。
思い出すたびに、胸の奥がやわらかくふくらんで、息が深くなる。何度も確かめるように、口の中で飴玉を転がすように小さく繰り返す――けれど、どこかで不安が離れてくれない。ほんとうにあたしでいいのだろうか?
畳のうえでゴロゴロしながらひとり赤面したり泣きそうな顔になったり、百面相をしていたあたしはふと真顔になって天井を見上げる。見慣れた木目や柱、子どもの頃から変わらない景色。かつてはこの部屋で毎月のように祖父母の友人たちが宴会していたものだ。お隣の黒戸のじいさまも一緒になってお酒を飲みに来ては、小難しい話をしていた気がする。幼かったあたしは威厳ある黒戸のじいさまが熊みたいで怖かったけど、じいさまが来ると彼がもれなくついてきてあたしと遊んでくれたから、いつしか歓迎するようになっていた。