隠れ許嫁は最終バスで求婚される

「まもなく栗3系飯野羽(いいのう)駅経由十和栗(とわぐり)車庫行き、最終バスが到着します」

 電子音とともに到着のアナウンスが響く。街灯に照らされた大型車両は古ぼけているもののコロンとした丸いフォルムが愛らしい昔ながらのバスである。郷愁を抱かせるくすんだクリーム色のボディを見ると十年前を思い出す。まだ減価償却されてないのかなどと感慨深くなるあたしのことなど気にせず停留所の前に止まり、軋んだ音とともに扉が開く。電子決済など当然できるわけもなく、あたしは整理券を手にしていちばん後ろの窓際の席に腰かけた。

 さきほどまで誰もいなかったのにバスの到着とともにどこからか乗客がわらわら集まって乗車していく。ガラガラだろうとタカをくくっていたあたしは、思いがけない熱量に驚く。
 高校時代は毎日のように乗っていた通学の足だが、この時間だからか学生の姿はまばらで会社帰りのサラリーマンの方が多い。発光ダイオードの橙や緑の電飾が示す行先表示にも「最終」の文字が光っている。駅からはなれた住宅地を経由し山の麓のそばにある終着地まで行くのはこのバスだけだから、平日のこの時間でも乗るひとが多いのだろう。路線バスを逃したらタクシーで帰るしかないことを思えばこの乗車率も納得である。

「十和栗車庫行き、まもなく発車いたしますー、お乗りになってお待ちくださーい」

 間延びした運転手の声が、妙に心地よい。泣いたり怒ったりやけ食いしたり情緒が忙しなかったあたしは思いがけない癒しを耳に受けて脱力する。聞き覚えのある若い男性の声は、幼い頃になんども聞いたお兄ちゃんの声に似ていた。
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