隠れ許嫁は最終バスで求婚される
猫がじゃれあうように睦みあう夢のつづきみたいな時間が過ぎていくうちに、ふと我に返る。
畳の上に転がる影が少しずつ短くなっていて、障子の向こうがぱあっと明るくなっている。真昼の光が、あたしたちに向かって現実の世界へ呼び戻すように差し込んでいるみたいだった。
それに気づいたのか、一季さんが言葉を紡ぐ。
「午後になったら、うちに挨拶しに行こうな」
いつもの穏やかな笑顔。だけどすこし硬い、覚悟を決めた表情。その瞬間、胸の奥が少しだけきゅっと締めつけられた。
挨拶――。それは、いよいよ“本当の婚約”を意味する言葉だ。
嬉しいはずなのに、どうしてだろう。あの夜のぬくもりとは違う小さな緊張が、指先から広がっていく。
「……うん」
頷いた声が思ったよりもかすれていて、自分でも驚いた。
一季さんは気づかないふりをして、そっとあたしの髪を撫でる。その仕草があまりに優しくて、泣きたくなる。泣きたくなるのは秋という季節のせいもあるのだろう。郷愁を感じる風景と音――いまも窓の外から秋の風に乗って遠くの神社の太鼓の音が響いている。今日は土曜日。まもなく豊穣祭りが始まろうとしているのだ。