クズ男の本気愛
それから数日が経過した。
大きな仕事もあるので、かなりバタバタの毎日を過ごしている。今は踏ん張りどころだと集中し、プライベートは後回しで走り回っている。
霧島くんはよく声を掛けてくれるし、私の仕事を手伝ってくれたりもして助かっている。忙しそうにしていると、コンビニのチョコやドリンクを奢ってくれたりと気遣ってくれ、それは素直に嬉しかった。
残業が多かったので一緒に帰ったり食事に行くことはできないが、帰るとラインが来ていたりする。大抵はくだらない内容とか挨拶ぐらいのもので、私も気兼ねなく返事をしている。『なんか手伝えることがあったら何でも言ってください!』って、彼には十分手伝ってもらっているのに。
『大丈夫だよ、ありがとう』そう返事を送っている。
ところで最近、どうも誰かの視線を感じる気がするのだが……気のせいだろうか。
その日、私は仕事で他社に向かっていた。
スマホを見て、約束の時間には余裕で間に合いそうなのを確認し一人頷く。気合を入れ、地面を踏みしめて歩いていた。
今日、この日のためにここ最近は忙しくしていたのだ。
何とか契約を取ろうと意気込み、上司と相談しながら毎日頭を抱えて頑張った。その甲斐あってか、先方はいい反応を見せてくれている。今日、直接会ってもう一度話し、一気に決めるつもりでいた。
「よーし、気合が入るなあ」
会社を出る前に何度も持ち物は確認したし、内容もしっかり頭に入っている。もうこれ以上ないというくらいの状態で挑んできているのだ、失敗は許されない。
歩いているとようやく目的の場所が目に入った。一度立ち止まり、最後に身だしなみのチェックだけしておく。この仕事を始めてだいぶ経つけれど、いまだにこういうときの緊張感は慣れないなあ、なんて。
「がんばろ」
自分に言い聞かせるように呟き足を踏み出した時、なんとなく持っているカバンが気になった。理由なんてない、ただもう一度その中身を見てみようと思ったのだ。
とはいえ、会社から出るときにさんざん忘れ物がないか確認は済ませてある。元々心配性で、催涙スプレーや裁縫セットを持ち歩く性分なので、忘れ物などほとんどしたことがない。
それでもなぜか、まるで何かに呼ばれるようにカバンの中を覗いてみた。
「……え」
息が一瞬止まる。
間違いなく入れたはずの書類が、ない。
「……嘘でしょ? だって、あれだけ確認したのに?」
そんなはずはなかった。私はしっかりカバンの中に入っているのを確認したし、その後出してもいない。なのになぜ消えているのだ。
いや、今はなぜないのか、なんてことは後回しでいい。
「……大丈夫、予備のためにもう一部……」
さあっと血の気が引いた。汚したり何かトラブルがあったときのために、書類は予備を用意しておくようにしているのだが、それすら入っていないことに気づいて絶句する。
「う、噓、なんで!?」
もう一度カバンの中を覗き込んで必死になって探してみるが、やはり出てこない。忽然と重要な書類たちは姿を消してしまったのだ。
呆然とし、立ち尽くす。
今から取りに戻っても間に合うはずなんかない。会社に連絡して持ってきてもらっても……間に合わない。約束の時間はすぐだし、どうしようもない。
「どうしよう……と、とりあえず事情を説明して……いやでも」
混乱しながら呟くが、こんな失敗初めてのことで上手く頭が回らない。これほど大事な時期に重要な書類を忘れてくるなんて、向こうから見たらやる気がないと思われるかもしれない。表面上は笑顔で対応してくれるかもしれないが、心の中ではどう思われるかわからない。
こんなに頑張ってきたのに、全て台無しになってしまったら――
絶句して立ち尽くしていると、突然背後から聞き覚えのある声が聞こえた。
「先輩!」
ハッとして振り返ると、こちらに向かって走ってくる霧島くんの姿が見えて驚いた。一体彼がなぜこんなところにいるのだろう?
「霧島くん?」
「よかったー間に合った! これ、今日使うんじゃないですか?」
彼の手に合ったのは、私がカバンの中に入れたはずの書類だった。
「あ!!」
暗かった視界が一気に広がったように眩しく見える。私は手に取って中身を見て、間違いなく私が置いてきた書類だと確認した。
「そ、そう、これ!!」
「先輩のデスクの横に落ちてたんですよ。電話しようかとも思ったんですけど、届けた方が早いかもって思って」
白い歯を出してそう笑った霧島くんの額には汗が浮かんでおり、かなり急いで届けて来てくれたのだとわかった。私は泣きそうになりながら霧島くんにお礼を言う。
「あ、ありがとう……! ないことにたった今気づいたところだったの……! 予備も入れておいたはずなのになくて……」
「よかった。見つけた時、一瞬何かの間違いかなって思いましたよ。だって先輩がこんな忘れ物するなんて考えられないし。もしかして……」
何かを言いかけた霧島くんだったが、思い出したように腕時計を見た。
「いや、あとで話しましょう。行った方がいいですよ」
「あ、そ、そうだね。霧島くん、本当に助かった。このお礼は必ずするから……本当にありがとう!」
「いいんですよ。先輩の事よく見てるから、頑張ってきたの知ってるし、上手く行くといいですね」
そう言って霧島くんは優しく微笑み、私は胸がドキッとしてしまった。普段の犬っぽい笑い方とは違う、優しさにあふれた笑顔だった。
「う、うん、じゃあ行くね」
それを隠すように頭を下げ、私は足早にそこを立ち去った。最後に一度だけ霧島くんを振り返ると、彼は笑顔で手を振っており、私も小さく振り返した。