クズ男の本気愛

しっぽと耳が見えるタイプ


「璃子先輩、おはようございます! 今朝コンビニで璃子先輩が好きなお菓子の新しい味があったから買っちゃいました、どうぞ!」

 朝早く出勤してきて早々、霧島くんがこれでもかというくらいの明るい笑顔で近寄ってきたので、私の表情は固まった。

 これまでもこうして差し入れをくれたりはしたが、あれは私がバタついていたからちょっとした気遣いで、という構図が出来上がっていたのでよかった。それが、私が好きなお菓子を買ってきてくれる、となると少し違うのではないか?

 隣の敦美がにやにやして私たちを見ている。昨晩、彼女には電話ですべてを伝えていた。

「……霧島くん……」

「これ美味しいですよね。ずっと食べてますよね先輩」

「昨日ラインで言ったこと、忘れたの?」

 私が声をひそめて彼を非難すると、霧島くんは納得がいかない、とばかりに目を据わらせ、口は尖らせた。
 
 昨晩彼にはこう伝えた。『付き合ってることは周りに内緒にしてね! 敦美だけはOK』と。

 その返信はこうだ。『なんでですか!! 俺、明日出勤したら周りに自慢して回る気満々だったんですよ!!』号泣スタンプ。

 だって考えても見てほしい。彼は最長二か月しか続かない男で、会社内には美人の元カノが何人もいる。そこで私と付き合いだしたという噂が広まるのは勘弁してほしい。

 中津川さんのように霧島くんに想いを寄せている女性もいると思うので、それも怖い。一体どんな反応が来るのか、想像するだけでぞっとする。彼との交際を公にするつもりはまるでなかった。

 それを説明しても納得しきれないらしく、『とりあえず明日また話しましょう』というラインで会話は終わった。そして翌朝を迎え、このざまだ。
 
 普段から私に懐いてくれているとはいえ、あまりに駄々洩れではないか? どこで誰が感づくかもわからないし、不安で仕方がない。

「えーでもお菓子あげたりはよくしてたしー……」

 霧島くんは口を尖らせたままぶつぶつ言っている。それを見て小さく笑った敦美が、私たちに囁いた。

「急に距離が出来ると逆に怪しいかもよ。まあ貰っておきなって。あ、私も一個ちょうだいね」

「……わかった、ありがとう」

 私がそう言うと、霧島くんはパッと顔を明るくさせてお菓子をデスクに置いた。敦美は一人で笑っている。

 まあ、こうして好きなお菓子を買ってきてくれるなんて嬉しいことではあるんだけれど、やっぱりあの霧島くんと付き合うって周りにはバレたくない。できれば職場では穏やかに暮らしていきたいタイプなのだ。女同士の揉め事はごめん。

「おはようございます」

 そう言って私たちに声を掛けてきたのは薫さんだったので、自然と力が入ってしまう。まだ彼女が大輔の女友達だとか、私に会議の時間を教えてくれた人だということを、霧島くんには話せていない。

「増田さん、おはようございます」

「ちょっと霧島くんに質問があったんだけど……仲いいんですね、璃子さんと」

 薫さんは私たちを見て優しく微笑んで言った。私はすかさず答える。

「実は、同じ高校の陸上部だったんです。私はOBとしてかかわったことがあって」

「ああ、なるほどー! それで仲良しなのね! 同じ会社って凄い偶然」

 薫さんは笑いながらそう言うが、隣で敦美があからさまに嫌な顔をしていて焦った。彼女には電話で今までのことを全部話しているので、敵意が隠しきれていない。

「それで、俺に質問って何ですか?」

「あ、そうそう。ここの取引なんだけど、霧島くんが前担当していたから……」

 薫さんは持っていた資料を広げて霧島くんに寄り添うように立った。周りから見てなんとも絵になる二人で、何だか複雑な思いになる。

「あーなるほど、ありがとう助かりました」

「いえ、全然」

「霧島くんって頼りになるー」

 薫さんがそう言って彼の手にすっと触れたので、ついそちらを見てしまった。距離も近いと思っていたけれど、あんなに自然と触れられるなんて私にはまねできない。

 だが霧島くんは慣れた様子でするりと抜け出した。

「いえ、全然ですよ。じゃ、仕事戻るんで!」

 思ったような反応がなかったのか、薫さんは一瞬ぽかんとしたけれど、すぐに微笑んで引き留めた。

「待って! 私こっちに来てまだ馴染めてないから、みんなで飲みに行こうかなって思ってるの。明日なんだけど来られる? 結構な人数が来てくれるみたい」

 なるほど、飲み会の誘いか。薫さんは来て間もないので、親睦を深めるためにみんなで行くのはいいかもしれない。

……でも、私はちょっとなあ。なんだか、あまり関わらない方がいい気がするし……。

「飲みですか……先輩はどうします?」

 霧島くんが私の方を見て笑顔で尋ねてきたので、薫さんの顔がまたむっとした。なぜ私なんかに聞いているんだ、と不思議なのだろう。

「あ、私は……」

 どうしようか迷っていると、薫さんがくるりとこちらを向いた。

「璃子さんも来てください! お店は中華にしたんですよ。ぜひ! ね?」

「あー……はい」

 そう誘われれば断りにくい。他にも大勢参加するようだし、私情と仕事を一緒にするのはよくないと思うので、私は参加を決意した。それだけ人が多いのなら、隅っこの方で他の同僚と話していれば終わるだろう。

「んーじゃあ俺も行こっかな」

「ありがとうございます。じゃ、またお店の詳細は伝えますね」

 薫さんはそう言っていなくなってしまった。

「あ、やべ仕事しないと。先輩、また!」

 霧島くんは慌てた様子で自分のデスクに戻っていく。私も気持ちを切り替えて仕事を始めようとすると、隣から悲し気な声が聞こえた。

「私、空気やん……」

「敦美!」

 そういえば、薫さん敦美には一言も声を掛けていない。見えなかったんだろうか?

「あ、敦美もいこ!」

「眼中になかったねあれ。いや、別に行かなくていいんだけどさあ。霧島くんをとにかく誘いたかったんじゃない? 気を付けた方がいいかもよ?」
  
 ひそひそと耳打ちしてきた言葉を聞いて、先ほど薫さんが霧島くんに触っていたのを思い出す。確かに、急に馴れ馴れしい感じがしたけど気のせいだろうか。そういえば、彼女は大輔のこともよく触っていたな、と嫌な思い出が蘇る。

「そうなのかな……」

「でも大輔はどうしたんだろうね? あの人、大輔が好きだから呼び出したりしてたんじゃないの?」

「どうなんだろう。ただ本当に親友と思ってたのかも」

「だとしたら気遣い出来なさ過ぎて人間じゃないよ。彼女といる男を夜に呼び出すんだもん、頭おかしい人だって。まぁ大輔もおかしいから同類だけど。ぶっちゃけ大輔より霧島くんの方がずっと高スペックなんだから、ターゲットを変えてもおかしくない……璃子!」

 敦美は私の肩をがしっと掴み、真剣な面持ちで言う。

「気を付けるんだよ。ああいう人間は何してくるかわかんないからね!」

「……う、うん……」

 確かに霧島くんは誰が見てもカッコいいし優しいので、尋常じゃないほどモテる。薫さんが惹かれてしまうのも無理はないかもしれない。

 もし、本気で霧島くんを狙い始めたなら――

「……とはいえ、大丈夫かあ」

 敦美はそう言って力を抜き、私から手を離す。緊張感のなくなった顔でにやりと笑い、私に囁く。

「あれだけ璃子にぞっこんなら、何も心配いらないよねえ」

「……え」

「秘密にしてても、絶対近いうち周りにばれると思うよー。あの子、耳と尻尾隠しきれてないんだもん」

 敦美は笑いながらそう言って、ようやく仕事に取り掛かった。私は複雑な思いになりながら、一つだけため息をついた。
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