クズ男の本気愛
「えー霧島くん、最近はもう社内恋愛は止めておくって前言ってたのに、なんで高城さん?」
「あまりに釣り合ってなさ過ぎて笑っちゃうー」
「年上だし、そう大して美人でもないし、何より二人ともタイプが真逆でしょ。何がどうなってそうなったの?」
私はトイレの個室から出ることが出来ず頭を抱えていた。
翌日になり出社すると、すっかり噂は回っていたようで、ちらちらといろんな人からの視線を浴びた。部署では同僚たちが待ってましたと言わんばかりに声を掛けてきていろいろ聞いてくるし、昨晩は同期達からのライン通知の音が凄かった。
みんな『なんで付き合うことになったの?』『どっちから告白したの?』と容赦なく質問をぶつけてきている。だが、それはとても健全なことで、問題は私に直接聞いてこない人たちなのだとすぐに分かった。
トイレに入ってすぐに化粧直しをする女性社員たちに気づき、出ることが出来なくなっている。女は人の悪口を言う時には人気のないトイレで行うことが多い。まあ、自動販売機の近くで大きな声を上げて話し、霧島くんと私に聞かれてしまった人もいたけれど。
今もまさにその場面で、私が中にいるとは思わずリップを塗りながら堂々と噂話をしているようだ。
「でもあれじゃない、霧島くんついに珍味に手を出したんでしょう。毎回ケーキばっか食べてても飽きるから」
「あはは珍味って! 珍味だと高級食材になるじゃん」
「それもそっか、例えるなら塩にぎりって感じだよね。ケーキ食べすぎて塩にぎり食べたくなったんでしょ」
「せめて具入れたげてー! 海苔巻いたげてー!」
「普通アラサー女に手を出すの遠ざけるもんだけど、恐れないのが霧島くんだよねー。まあ彼の場合、どうせ一、二か月で終わるだろうから、それくらいじゃ貴重な時間返してよ! とはならないもんね。むしろいい思い出出来てうらやまー」
「霧島くんってどの子とも長続きしないから普通女の敵になりがちな子だけど、根がまじでいい子だから反感買ってないんだよね。むしろみんなの霧島くんみたいな。恋愛に本気にならないタイプってみんな分かってて付き合うけど、年上アラサーは絶対そんな風に割り切ってないって。結婚せがみそう」
「うわー痛いわー。霧島くん上手く逃げられるかなー? いくら塩にぎり食べてみたくなっても相手は選んだ方がいいのにねー」
「すっかり塩にぎりで定着しててウケる」
楽しそうに話していた女子たちは、ようやく化粧直しが終わったのか笑いながら外に出て行く。私はやっと個室から出て手を洗いながら、さすがに気分を悪くしていた。
表情筋が固くなっている自覚がある。
「美味しいじゃん、塩にぎり。日本人ならみんな好きじゃん。おにぎり馬鹿にすんな」
これくらい言われるのは覚悟していたつもりなのに、やっぱり実際経験すると辛い。
いろんな人に見られてクスクス笑われ、こうして裏で文句を言われている。悪い事なんて何一つしていないのに、どうしてこんなにも嫌な思いをしなくちゃならないんだ。
私たちはただ、お互いの気持ちに素直になって付き合いだしただけなのに。
「……気にしない気にしない」
小さな声で自分に言い聞かせ、私はしっかり前を向いてトイレから出る。仕事も山のようにあるし、うじうじしてても仕方がない、今やるべきことをやっていれば、そのうち噂も落ち着いてくるだろう。時がたつのを待つしかないのだ。
デスクに戻ると、座るときにこちらをじっと見ている中津川さんと目が合った。向こうはすぐにそらしたが、明らかに不満の目で見られていたので苦笑いする。
座った直後、隣の敦美が小声で心配そうに話しかけてきた。
「大丈夫?」
その言葉に微笑んで答える。隣にいるのが事情を知った敦美でよかった、と心から思う。さっきのトイレの場面も、もし敦美がいたら怒鳴って追い払ってくれそうだ。そう想像するだけで心強く、そして頼もしく思えた。
「ありがとう」
「ちょっとざわざわしてるけど気にしないようにね。私はちょっと出てくる」
「私ももう少ししたら外回りに出なきゃだ」
「社内にいるよりいいかもね。行ってきます」
敦美は私に小さく手を振ると、そのまま出て行ってしまった。隣に敦美がいないと、一気に心細くなる。
だがふと、デスクの隅にチョコレートが置いてあることに気が付いた。
「あ……」
そっと振り返ると、他の同僚と何か相談している霧島くんの姿が目に入る。真剣な顔で仕事について話しているようだが、視線に気が付いたのかこちらと目が合った。彼は少しだけ目を細めて微笑みかけてくる。
ついドキッとしてしまったのを隠すように慌てて顔を背け、彼がおいてくれたであろうお菓子をポケットにしまい込んだ。
大丈夫、敦美も霧島くんもいるし……頑張れそう。
私は肩の力を抜いて、仕事に取り掛かった。