クズ男の本気愛


 一日は慌ただしく過ぎる。外回りから帰ってきた頃、すでに日は落ち始めて暗くなっていた。

 パンパンになったふくらはぎを揉みながら席に座り、残った仕事に取り掛かる。少し小腹が空いたので、途中で買ってきた一口チョコレートを頬張った。隣の敦美はまだ戻ってきていないようだ。

 帰ったら、うちにおいてある大輔の荷物をまとめて宅配便で送らないと。着替えとか結構多いし、会社内で渡すのは人の目が気になる。

 そう考えながらパソコンと向き合っていると、背後から高い声が聞こえた。

「えーどうしよう……困ったなあ」

 反射的に振り返ってみると、中津川さんがスマホを見ながら眉尻を下げていた。彼女は入社して二年目の子で、お洒落な可愛らしい子だ。

 私はつい、声を掛けてみる。

「どうしたの、中津川さん」

「え? あ、いえ、その……」

 彼女が困ったように口籠ると、様子を見ていたのか霧島くんが話に入り込んできた。

「なんの話?」

 私と霧島くんに囲まれ、中津川さんは意を決したようにスマホの画面を見せてくる。霧島くんと覗いてみるとそこには、なんだか浮ついた文章がある。

『お疲れ様ー! 今日も忙しかったかな?
 お疲れの君を癒してあげるね。帰りに食事でも行こうよ!
 美味しい所を予約しておいてあげたから。会社まで迎えていってあげるね。今日こそはちゃーんと待っててね?』

「……これ、誰から?」

 私が怪訝な顔でそう尋ねると、中津川さんが答える。

「少し前に飲み会で会った人なんです……みんなでライン交換する流れになっちゃったから交換したら、個人的に凄く連絡が来るようになって。毎日会おうってしつこくて」

「な、なんか怖いね……ここのことも知ってるの?」

「飲みの席で、どこに勤めてるか言っちゃったんです。実はこれ、一昨日も似たような誘いがあって、ラインで断ったのに実際に会社の前で待ち伏せしてたんです。その時は裏から帰って顔を合わせないようにしたんですけど、またこんなの来ちゃって……」

 はあと深いため息をつく。これは、同じ女性として非常に怖い体験だと感じた。断ってるのに誘ってくるし、しかも会社の前で待ち伏せなんて、何をされるかわからない。文面からも、なんだか痛い感じが伝わってくるし……。

 私は文章を読み返しながら唸る。

「警察は?」

 だが、霧島くんがすぐに言う。

「どうでしょう。仕事終わりの待ち伏せを一、二回ぐらいじゃ動いてもらえないんじゃないでしょうか」

「そんな……」

 中津川さんは困ったように俯いている。とりあえず、一人で帰るのは危ないのは確かだ。裏口から帰ると言っても、どこで見つかるかわからない。

 すると霧島くんが中津川さんに言う。

「俺、送るよ」

「え、霧島さんいいんですか……!?」

「うん、一人じゃ危なすぎるでしょ。家まで送ってく」

「あ、ありがとうございます!」

 二人の会話を聞いて、私はすかさず言う。

「私も行くよ!」

 だが、霧島くんは少し眉間に皺を寄せて首を横に振った。

「危ないかもしれないですから、先輩は……」

「女だから力はないけど、でも人数は多いに越したことないと思う! 通報したりとか出来るしね。あ、それから防犯グッズも持ってるから、中津川さんに貸すね!」

 私はカバンを持ってきて、催涙スプレーを取りだした。夜道を歩くことも多いので、こうして防犯グッズは持ち歩くようにしているのだ。

「あ、それから防犯ブザーもあるから……! 中津川さん持ってた方がいいよ!」

 二人は一瞬きょとんとしたが、すぐに霧島くんが小さく笑った。

「さすが先輩ですね。しっかり者だなあ。そのカバン、重そうだなと思ってたんだけど、色々入ってそう。救急セットとか裁縫セットとか」

「絆創膏ぐらいしか入ってないよ。裁縫セットは持ってるけど」

「はは、すご! 入ってるんだ」

 何がツボに入ったのかわからないが、彼はひとしきり笑った後ようやく顔を上げた。そして私たちに向き直る。

「少しだけ待っててもらえますか。仕事を区切りがいいところまでやっちゃいたいんで」

「あ、うん!」

「すみません、よろしくお願いします……!」

 自分の席に戻っていく霧島くんを見送ると、私は持っていた防犯グッズを中津川さんに説明しながら手渡した。三人でいればよっぽど危害を及ぼしてくることはないだろうけど、用心するに越したことはない。

 中津川さんは頭を下げながら受け取り、何度もお礼を言っていた。




 霧島くんの仕事も終わり、三人で裏口から帰ることにする。

 中津川さんを真ん中にして、私たちはこそこそと外に出る。とりあえず今日を無事に終えたとしても、これから繰り返される可能性が高いため、対策を練る必要があると思った。

 大通りはまだ人もそれなりに行き交っているのでほっとした。だが油断は禁物だ。夜道を歩きながら、私は小声で二人に話しかける。

「明日も困るよね? 今日は帰宅の時間が合ったからよかったけど、毎日一緒に帰るのは無理だろうし……どうしようね?」

「そうですね……困りました……」

「その催涙スプレーとか、もうあげるから! 朝の出勤の時も怖いし、ちゃんと持っておくんだよ」

「あ、ありがとうございます」

 そんなことを言いながら歩いている時、少し先に人影が立っていることに気が付いた。みんな歩いている中、その人だけがこちらを見て立ったままでいる。嫌な予感がしたところで、隣の中津川さんの足が止まった。

 彼女を見てみると、青い顔をして小さくなっている。

「……え、まさか」

「なんで勝手に帰ろうとしてるの? 俺、待ってるって言ったよね」

 相手がこちらに近づきながらそんな怒りの声を出したので、最悪の展開であると理解した。見つかってしまったのだ、ストーカー男に。

 正面に立った男を改めてみてみると、ごく普通の男性に見えた。仕事終わりなのかスーツを着ており、短髪で細目の真面目そうな人だ。人は見かけで判断してはいけないのだな、とつくづく思った。
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