一途すぎて捨てられた令嬢、辺境で溺愛されて家族も未来も手に入れました
春の陽射しがやわらかく、王都の郊外には小鳥のさえずりが響いていた。
アークライト公爵家の別邸では、淡い花々が咲き誇り、整えられた芝生の上を風が撫でていく。

その一角、庭の端にひとり座る幼い少女――カノンティア・アークライト。
膝の上には、擦り切れた絵本。
金糸の髪が陽光を受けてきらめき、風に乗った桜草の花びらが、そっとその髪に舞い落ちた。

彼女は指先で花びらをつまみ上げ、微笑む。
だが、その微笑みの奥には、うすい孤独の影があった。

「お姉様、そんなところで何をしているの?」

遠くから妹・セレナーデの弾む声がする。
母と侍女たちに囲まれ、楽しげに笑い合う輪。そこに、カノンティアの居場所はなかった。

「わたくしも……一緒に遊んでも――」

そう言いかけた瞬間、母の冷ややかな視線が突き刺さる。

「あなたは泥で服を汚すでしょう?今日はお客様が来るのよ。控えていなさい」

幼い胸の奥で、何かがすうっと冷めていく。
それでも、逆らうという選択肢はなかった。
カノンティアは小さく頷き、花の陰に隠れるように庭の隅へ退いた。

なぜ、自分だけが愛されないのか。
理由など、まだわからない。
ただ、“妹の方が可愛いから”という事実だけが、じわじわと胸の底に沈んでいく。

その日、公爵家には地方の子爵家の親子が招かれていた。
父の政務上の関係で短い滞在をするという。
けれど、客人の少年――ユリウス・ヴァン・レーヴェン――だけは、他の誰とも違っていた。

彼は遠慮なく泥のついた靴のまま庭に出てきて、まっすぐカノンティアの前に立った。

「……君、どうしてひとりでいるの?」

その声は幼いのに低く、どこか落ち着いた響きを持っていた。

「わたくしは……みんなのお邪魔になるそうです」

「へえ。でも俺は、邪魔だなんて思わないけど」

その一言に、カノンティアの胸がかすかに揺れる。
ユリウスはどこからか枝を拾い、地面にしゃがみ込んで絵を描き始めた。
ぎこちない丸と線で描かれた、笑顔の少女の絵。

「君の笑った顔、こんな感じ」

「……ふふ、変ですわ。わたくし、こんなに頬は丸くありません」

「俺の絵が下手なだけ。ほら、もう少し笑って。花が咲くみたいだ」

胸の奥に、知らない光がともった。
“自分の笑顔を、綺麗だと言われた”――それが初めてだった。

だが、そこへ庭師と侍女が慌てて駆け寄ってくる。

「お嬢様!そんな泥まみれの子と遊んではいけません!」

「カノンティア様、お戻りくださいませ!」

ユリウスは叱られても、眉ひとつ動かさなかった。
むしろ一歩前に出て、カノンティアの前に立ちはだかる。

「彼女が悪いわけじゃない。俺が誘ったんだ」

「まあ、なんて口の利き方を!」

大人たちの怒号の中で、カノンティアの喉が詰まる。
叱られるのは怖い。けれど――その背中があまりに頼もしく見えた。

母が現れ、冷たい声で告げる。

「カノンティア、あなたという子は……また厄介ごとを。お客様を困らせてどうするの」

「ちがいます……わたくしが……」

遮るように、ユリウスが母を見上げる。

「彼女は困らせてなんかいません。俺が話しかけただけです」

その真っ直ぐな瞳に、母は言葉を失った。

カノンティアは思わずユリウスの手を握った。
小さな手と手が、初めて重なる。
その温もりが、彼女の世界のすべてを変えた。

「……ありがとう。わたくし、嬉しかったの」

「気にするな。俺、弱いものを泣かせる奴が嫌いなんだ」

その言葉が、胸の奥深くに刻みつけられた。
まるで春の陽射しのように、優しくも忘れられない温度で。

――数日後。
ユリウスは父とともに屋敷を去る日、ひとつの贈り物を残していった。

それは小さな木彫りの鳥。
手のひらに乗るほどのサイズで、まだ不器用な彫り跡が残っている。

「これ、守り鳥。泣きそうな時、握ると元気出るんだって」

「……大切にします」

馬車が遠ざかり、砂塵の向こうにその姿が消えるまで、カノンティアは立ち尽くした。
胸の中で、彼の言葉が何度も反響する。

その夜、彼女は木鳥を胸に抱きしめたまま眠りについた。
そのぬくもりを失いたくなくて、夢の中でも離せなかった。

――彼にまた会えるだろうか。
その淡い願いは、やがて「運命」という糸に結ばれていく。
幼い少女はまだ知らない。
あの日の庭の記憶が、彼女の人生を導く光になることを。
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