子供ができていました。でも、お知らせするつもりはありませんでした。
 ***



(まぁ、確かに、雰囲気に酔ってしまった私が悪いといえば、悪いんだけど……)

 佑とふたり、売店まで相々傘で移動したが、朝から雨が降っているにもかかわらず、いや朝から降る雨がやまなかったからなのか、傘は売り切れていた。
 仕方なく相々傘のまま、トラム停留所までいく。すぐにやってきたトラムは、美月が乗る予定のものだった。
 幸いにも美月の宿泊先はこのトラムの停留所のすぐ近く。そんなにひどい雨でもないし、トラムに乗ってしまえばこの傘をこの人に渡しても問題ない。

「私の乗るトラムがきたので、これで失礼しますね。傘ですけど……」
「すごいな。僕のトラムもこれです」
「え? エリアは違うけど、方面は同じだったんだ!」

 ビジネスショーに単発でやってきた美月に土地勘はない。
 対して、この佑は違っていた。現在、ベルギー在住で、五年目になるという。雨に濡れそぼっていたときは迷子のような様相だったのに、美月の傘の中にいるうちにプレゼンのときのはつらつとした佑に戻っていた。
「トラムが待ってます。乗りますよ」
 驚き足が止まってしまった美月のことを、佑は自然にエスコートしたのだった。

 そうして、トラム内でもふたりは並んで立つ。時刻は夕刻で退勤の混雑時だったから。
 さっきまでの佑は傘を忘れた哀れな日本人営業マンだったのに、今ではベルギー在住で地元に溶け込んだエリート渡欧人となっていた。
 美月が海外出張ではじめてベルギーへきたといえば、佑はベルギーのウンチクを面白おかしく披露する。さすが在住四年以上ともなれば、ガイドブックには載っていない極秘情報を知っていた。その内容、有名観光地訪問の裏技だったり、これから話題になるだろうご当地グルメだったり。沈黙となってしまいがちなトラム移動が、一度に楽しいものへと変わったのだった。

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