子供ができていました。でも、お知らせするつもりはありませんでした。
 雨の日の夕方は、時刻の割には外が暗い。トラムの窓外は、すっかり夜と化していた。
 雨粒が当たって滲んだ窓ガラスの向こう側に、夜のベルギーの窓明かりが並んでいる。不明瞭な光の粒が、どこか幻想的である。
 そんな情緒あふれる旅先の風景が美月の心に拍車をかけてしまったらしい。

 目的の停留所にトラムは到着した。
 短時間の会話であったけど、佑との時間はとても楽しいものだった。このままずっとお話していたいと思ってしまうくらいに。
 だけど海外出張させてもらえるような社に勤めているとはいえ、美月は普通の会社員である。対して佑は、海外進出を行う企業の創業家一族だ。同じ企業人であっても自分とは違う世界に佑は住んでいる。
 仲良くなれそうなところで時間切れとなり、彼に後ろ髪を引かれながらも美月は節度ある対応を心がけた。

「では、これで」

 停留所から滞在先まで近いと説明して佑に傘を差し出し、美月がトラムを降りようとしたしたときだった。
 その傘を持つ美月の手を、大きな佑の手が包み込んだ。傘でなく、美月の手を掴んだのだった。

「もう少し、話をしたいんだけど……」

 しっかりと佑に手を掴まれてしまって、美月の心はざわめいた。温かで力強いこの手は、まるで美月を逃しはしないと代弁しているかのようである。
 え? と思って美月が見上げると、視線の先には愁いを帯びた佑の黒の瞳があったのだった。



 ***



 翌日、ブリュッセル空港で美月は同僚らと合流した。美月はヘルシンキ経由で帰国するのだが、このあとフランスのビジネスショーに足を運ぶ同僚もいて、ここでも現地集合現地解散の様相であった。

「昨日はお疲れ様。どうよ、はじめての海外出張は?」

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