解けない魔法を このキスで
見慣れたペントハウスのリビングに入ると、高良は美蘭をソファに促し、内線電話をかけ始めた。

「私だ。スイートルームのスペアキーをペントハウスに届けてほしい」

そう言ってから、ふと美蘭を振り返ってつけ加える。

「あと、氷も。……ああ、頼む」

受話器を置いた高良に、美蘭は声をかけた。

「新海さん、お手数おかけしてすみません」
「いや、構わない。氷は内線で客室係に頼んでくれたらよかったのに」
「そうなんですか? 製氷機まで自分で取りに行くのかと思ってました」
「スイートルーム専属の客室係が待機している。なんでも気兼ねなく頼むといい」
「そうなんですね。スイートルームってすごい。夢みたいな1日だねって、未散ちゃんとも話してたんです。人生でもう2度とないだろうなあ」

視線を落として呟くと、ソファの向かい側に高良が腰を下ろした。

「……君は人の為にばかりドレスを作って、自分の幸せは考えないのか?」
「え?」

突然なにを話されているのかと、美蘭は首をかしげる。

「人の為にばかり、無理をしてまでドレスを作る。それなら自分の為には? 君の幸せはどこにある? 氷だってスタッフに頼めばいいし、スイートルームだって彼にねだればいい。靴だって自ら拾わなくても、誰かが探して届けてくれるかもしれないのに。そうやって幸せになれたシンデレラみたいに」

はい?と美蘭は呆気に取られた。

「えっと、あの。ちょっとお話の意図は見えませんが……。私の幸せは、花嫁様が私のドレスを着て笑顔になるのを見届けることです。誰かを幸せな気持ちにさせられる、そのことが嬉しくてドレスを作っています。氷は、別に頼まなくても自分で取りに行った方が早いので。スイートルームをおねだりしようにも彼氏はいません。それから靴、ですか? いやいや、すぐに自分で拾わないと裸足になっちゃいます」
「でも君はもう片方の靴も脱いで、裸足で階段を駆け下りたじゃないか」
「え?」

ぱちぱちと瞬きしてから、ようやく美蘭は「あ! もしかして」と思い当たった。

「新海さん、あの時『フルール葉山』にいらしてたんですか?」
「ああ。残念ながらドレス発表会はタッチの差で見られなかったが」
「そうだったんですね、お恥ずかしい。あの日は6着の新作ドレスを披露したんですけど、私と未散ちゃんで3着ずつ着たんです。未散ちゃんがドレスの説明をしている間に、2階のブライダルサロンで急いで着替えて戻るっていうのを繰り返していて……。その途中、大階段で靴が脱げちゃったんですよね。もしかしてそれをご覧に?」
「そう。シンデレラのような綺麗なブルーのドレスだった」
「はい。あのカラードレスは、テーマがシンデレラなんです。まさか本当に靴が脱げるとは思わなかったですけどね、ふふっ。履き直す時間も惜しくて、両方脱いで走っちゃいました。あ、ちゃんとステージに上がる前には履き直しましたよ?」

美蘭がツンと澄まし顔をすると、高良は柔らかく微笑んだ。

「映画のワンシーンを見ているようで、目に焼きついた。とても美しくて」
「ありがとうございます。あのドレスは自信作なんです。シンデレラに憧れる女の子に着てほしいなって」
「またそれか。君は自分が幸せになれるドレスは作らないのか?」
「いやいや。お相手もいないのに、ドレスだけ作るなんて変でしょ?」

すると高良は、じっとなにかを考え始める。

「新海さん? どうかしましたか?」
「……パーティーの為のドレス」
「はい?」
「君が着たいと思う、パーティードレスを作ってみてほしい。君の為のドレスだ」

ますます訳が分からないとばかりに、美蘭は首をひねった。

「それって、どういう……」

その時ピンポンとチャイムが鳴り、高良は立ち上がる。
ドアに向かうと、スタッフからカードキーと氷が入ったアイスペールを受け取って戻って来た。

「部屋まで送るよ。行こう」
「あ、はい」

結局そのまま、話はうやむやになってしまった、
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