解けない魔法を このキスで
「婚約、破棄……?」

美蘭は呆然としながら未散に聞き返す。

「どうこと? 未散ちゃん。一体、なにがあったの?」

信じられないとばかりに身を乗り出した。

「だって未散ちゃん、ウェディングドレスのデザインも考えてたし、挙式の日程だって秋頃にって彼と話してたんでしょう? それが、どうして?」
「ほんとよね。私も青天の霹靂だったわ」

そう言って寂しそうに笑うと、未散は顔を上げる。

「彼のうちは家柄がしっかりしてるって、前に話したでしょ?」
「うん。でもご両親に会って、結婚を認めてもらえたって未散ちゃん言ってたよね?」
「そうなんだけどさ。どうもそのあと彼の母親が、興信所を使って私の素性を調べたらしいのよ。で、私が子どもの頃に両親が離婚したことを知ったの。私に父親がいないってことは伝えてあったんだけど、どうしてなのか気になったんでしょうね」
「それがどうして婚約破棄に繋がるの?」

すると未散は肩をすくめた。

「彼の母親からいきなり電話がかかってきたの。『あなたの親が離婚したのなら、あなたも将来そうなるんじゃない?』って」
「は? どういう意味?」
「離婚に対するハードルが低いんじゃないかってことらしいわよ。夫婦でちょっとケンカになっても、すぐに離婚って言い出すんじゃないかって。『私は夫に不満なことがあってもずっと我慢してきた。でもあなたはそれが出来るの?』だって。知らんがな!」

未散は明るく笑い飛ばすが、美蘭は悔しさと怒りと悲しみが一気に込み上げてきた。

「酷い。なんてことを言うの、その人」
「自分が酷いことを言ってるなんて、思ってもないみたいだったわよ。『未散さんの方から息子に婚約破棄を切り出してちょうだい。でないとあの子は納得しないから』って、ケロッと付け加えるの」
「な、なによそれ!」

美蘭はガタッと椅子から立ち上がる。

「未散ちゃん、行くわよ。私、そのお母さんに抗議する!」
「美蘭、落ち着いてって。もう終わったことなの」
「え……。まさか未散ちゃん、彼に?」
「そう。他に好きな人が出来たから別れてって言ったの」
「ど、どうしてそんなことを! ねえ、今からでも間に合うよ。ちゃんと説明しに行こう!」

今にも飛び出して行こうとする美蘭の手を、未散はぎゅっと握った。

「美蘭、本当にもういいの。なんだかね、私の気持ちも一気に冷めちゃったんだ。彼のこと、もう好きじゃなくなったの。だって母親が私にそんなことを言ったなんて、まったく気づいてないんだもん。『うちの母さんも、未散のこといいお嬢さんねって言ってたぞ』ってにこにこしちゃってさ。私一人が悩んでバカみたいって。だからさっさと別れてきた」
「未散ちゃん、でも……」
「だって考えてみてよ。結婚しても同じように私は陰であの人に虐げられて、彼はそれを知らずにへらへらしてんのよ? きっと私、我慢出来ずに離婚したくなると思う。その時あの人に『ほらね』とか言われたら、それこそもう殴りかかっちゃうかも。ね? そんな物騒なことになる前に、別れた方がいいと思わない?」
「未散ちゃん……」
「それに私、あの人のことを『お母さん』なんて呼びたくない。あの人きっと、私の母親のこともさげすむと思うから。そんなの私が許さない」

とうとう美蘭はこらえ切れずに、未散を抱きしめてボロボロと涙をこぼす。

「未散ちゃん、辛かったね。がんばったね。一人でえらかったね。私、なにも気づかなくてごめんね。力になれなくて、本当にごめんね」
「んー、そんなにがんばってないよ。夢から覚めたって感じ。ほんと、結婚する前で良かった。ソルシエールのドレスを着て幸せになれなかったら、変なジンクス作っちゃうところだったもん」
「ジンクスなんてどうでもいいの! 未散ちゃんの幸せが一番だよ」
「ありがとう、美蘭。ほら、もうすぐミラノに行くじゃない? ちょうどいい傷心旅行だわ。ミラノでパーッと遊んじゃう。イタリア男でも捕まえようかな」
「うん。未散ちゃんなら10人でも20人でも捕まえられるよ」
「ちょっと。さすがの私もそんなにいらない」

ふふっと笑ってから、未散は美蘭の頭をなでる。

「美蘭、ありがとね。私の分まで美蘭が怒って号泣してくれたから、なんかスッキリした。って、酷い顔ね。ほら、ティッシュ」
「ありがど」
「すごい鼻声。しかも、ぶっさいくねえ」
「みぢるじゃん。ごばんだべにいご」
「ああ? なんだって? どこの田舎のなまりよ」
「いいがら、いご」
「はいはい。おごってね」
「もぢろん」

腫れ上がった美蘭のまぶたを覗き込んで、未散はおかしそうに笑った。
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