森の魔女と託宣の誓い -龍の託宣5-
 開け放たれた扉に、令嬢のエメラルドの瞳が輝いた。彼女の弾む声音とは正反対に、緊張で身が強張るのが自分でも分かった。
 現れたのはフーゲンベルクの青い(いかずち)と呼ばれる公爵だ。彼女の婚約者であり、人嫌いとして有名だった。

 とにかく威圧感がハンパない。同じ空間にいるだけで息ができなくなる勢いだ。震える体を叱咤(しった)して、無駄のない動きで紅茶を()れる。ふたり分のカップをサーブすると、再び置物となるため素早く壁際に移動した。

「お仕事はひと段落ついたのですか?」
「ああ」

 花が(ほころ)ぶような笑顔を前に、公爵はそっけない言葉だけを返した。もっとやさしくしてやれよ。心の中で思わず舌打ちが漏れて出る。
 こちらの苛立ちをよそに、公爵は令嬢をひょいと膝の上に抱え上げた。乗せられた令嬢も、当たり前のようにその身を預けている。

「あーん」
「ヴァルト様もあーんですわ」

 目の前の光景に絶句する。いや、声など出してはならないのだが、とにかく我が目を疑った。添えられた大きな手に、令嬢が甘えながら頬ずりをしている。公爵と言えば始終仏頂面(ぶっちょうづら)だ。それなのに触れる手つきは、壊れ物を扱うかのように慎重だった。

 髪を()きだした公爵の胸に、令嬢は安心しきって身を任せている。貞淑(ていしゅく)とされる貴族令嬢の(ただ)れた素行は、今まで多く目にしてきた。ふたりの近さは、すでに体をつなげている男女のように見て取れる。だが公爵から(みなぎ)る緊張は、ただ事ではないようにもこの目に映った。

「もう、ヴァルト様、耳はくすぐったいと申しておりますのに」
「無意識だ」
「ええ、分かっておりますわ」

 ふいと顔をそらす公爵に、令嬢は妖精のようにほほ笑んだ。再び胸に顔を預けると、しあわせそうに目をつむる。挙句の果てに令嬢は、うとうととまどろみ始めてしまった。

(男の腕の中でそんな無防備に寝てしまっては危険です……!)

 ハラハラしながら心の中で叫んでいた。公爵がどんないたずら心を起こそうと、世話係の立場では見て見ぬふりをしなくてはならないのだから。

 フーゲンベルク公爵にまつわる噂は、黒く空恐ろしいものが多すぎる。泣かされた令嬢は数知れず、トラウマになったという話はあちこちで耳にした。そんな公爵の婚約者に選ばれた伯爵令嬢に、同情心を持つのは自然な流れだ。

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