30歳、年下わんこに愛されています
 静かな夜の空気の中、私たちは言葉少なにグラスを傾けた。

 氷が揺れる音、カウンター越しの笑い声。
 その小さな音が、まるで時間を止めているかのように、静かに流れていた。

 光は時折視線を逸らすけれど、肩が触れるたびに、その温かさが確かに伝わってくる。

 言葉ではなく、存在そのものが、そっと寄り添ってくれるようだった。

 「……遠藤さん、話してもいいですか?」

 その声に、私はうなずく。

 「今日、駅前で猫がすごいこっち見てきたんです」
 「え、猫?」
 思わず笑いながら聞き返す私に、光は少し照れくさそうに笑った。

 「目が合った瞬間、逃げようとしたんですけど、こっちをじーっと見てて……。ついて来いって言ってるみたいで、なんとなくついて行ったら、この店の前に着いて。入ったら遠藤さんがいた」

 「……え、そうなの?」

 なんでもない話なのに、胸の奥が少しずつ軽くなるのを感じる。

 「うん。俺、猫飼おうかな」

 ぽつりと呟く彼を見ていると、思わず肩の力が抜けて、自然に笑みがこぼれた。

 その瞬間、あの七年間の痛みも、ほんの少しだけ遠くに押しやられたような気がした。

 やがて、光がそっと私の手を握る。
 手のひらが温かく、指先までじんわりと伝わってくる。
 その温もりは、安心と――新しい明日への予感を含んでいた。

 涙も、悲しみもまだ胸の中にある。
 けれど今は、ただこの夜を感じていたい。

 誰かに寄りかかることが、こんなにも自然で、穏やかなものだということに、少し驚きながら。

 小さなバーの片隅で、グラスの音と控えめな笑顔、温かい手の感触に包まれて、

 初めて心から「ここにいてもいい」と思えた夜だった。
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