30歳、年下わんこに愛されています
 「そういうの、簡単に言うんだ」

 口ではそう言いながらも、胸の奥がわずかにざわめいていた。
 街灯の光が風に揺れて、光の横顔をぼんやり照らす。
 少し赤くなった頬が、夜気のせいか、それとも――。

 「いや、だいぶ勇気だしてます」

 苦笑するその声に、照れと真剣さが混じっていて、思わず目をそらした。
 足元のアスファルトには、二人の影が並んで伸びている。
 その距離が、少しずつ近づいていくのがわかった。

 「明日、大事なプレゼンがあるんだよね」
 自分でも、逃げ道のように聞こえる。

 「……でも、昼からですよね?」
 光はいたずらっぽい目で、すぐに笑って答えた。

 「……それは、そうだけど」
 思わず、ため息まじりに返すと、冷たい風が頬を撫でた。酔いが、ほんの少し醒めていく。

 「5分もしないで家帰れるんで、先輩なら余裕でしょ」
 「全然余裕じゃないよ。いつも必死だよ」
 「すいません、知ってます。いつも真面目に資料何回も読み直して、気合い入れてんの。まっすぐで、堂々としてて、かっこいいところも全部」

 光の声が、低く柔らかく響く。

 「じゃあ、今、めちゃくちゃカッコ悪いところ見せてるね」
 「だから、もっと知りたい。遠藤さんのこと」

 真っ直ぐに私を見つめる瞳と、その一言に、心臓が小さく跳ねた。
 夜の静けさの中、自分の鼓動だけがやけに大きく聞こえる。
 頬に触れた風が冷たいのに、胸の奥だけが熱かった。

 「…いいよ」

 震える声でそう伝えるのが、精一杯だった。
 もう、戻ることはできない。
 そんな最後の扉を、開いてしまった気がした。
< 13 / 17 >

この作品をシェア

pagetop