30歳、年下わんこに愛されています
 どれくらい立ち尽くしていたのか、わからなかった。
 気づけば、信号は何度も赤と青を繰り返していた。

 彼の全てを知っている気になっていた。
 いつも孤独で、愛を求めていて、彼には私が居なきゃだめだと信じて疑わなかったのに、目の前に居たのは、私の知らない幸せそうな姿だった。

 そんな人を、愛してしまった。
 してはいけないことをしてしまっていた。
 あんな幸せそうな家庭を、壊すところだった。

「本当に、最低で、最悪だ」

 足元を風が抜けるたび、冷たさが現実を思い出させる。

 ポケットの中で震えたスマホを取り出し、無意識に画面を開いた。

 そこには、昼過ぎに届いたままのメッセージ。
 『ごめん、今日会えない』

 ただそれだけの言葉が、今では残酷なほど重く響く。

 指先がゆっくりと動く。
 何度も書いては消して、ようやく短い言葉だけが残った。

 『今までありがとう。
  もう会うのはやめよう。
  どうか、幸せに。』

 送信ボタンを押すまでの数秒が、永遠みたいに長く感じた。

 送った瞬間、胸の奥で何かが静かに壊れた。

 涙は出なかった。
 泣くより先に、心が空っぽになっていた。

 夜の街に、車のライトが滲む。

 遠くで聞こえる笑い声が、ひどく遠い世界の音に思えた。

 私はスマホをバッグにしまい、深く息を吐いた。

 七年間の恋が終わる音が、確かにした気がした。
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