やり直しの恋を、正しく終わらせる方法
第3話
○咲希の家:寝室
目を覚ますも、ぼんやりしている咲希。
それを、不安げにのぞき込んでいる志築。
咲希「私……あれ……」
志築「大丈夫?」
優しく頭を撫でられ、咲希はほっとする。
咲希M「志築さんの手……。もしかして、全部夢だったのかな……」
咲希、側にいる志築を夫だった頃の彼と勘違いする。
咲希「……時間が巻き戻るなんて、あり得ないし…」
志築「時間……? 」
咲希「……うん、時間が戻る……嫌な夢……見て……」
咲希、頭を撫でていた志築の手をたぎり寄せ、頬に押しつける。
咲希「でも、良かった……。志築さん、側に……いてくれた……」
志築のぬくもりに安心し、再びうとうとする咲希。
その頬を、志築の指が優しく撫でる。
咲希(こうされるの、好き……だったな……)
そこで、咲希は再び眠りへと誘われる。
再び目を覚ました時、耳にしたのは満里奈の声。
咲希(あれ、私……なんで……)
むくりと起き上がった咲希は、フラフラと声のする方へ向かう。
○咲希のアトリエ
アトリエに入ってきた咲希を見て、ぱっと顔を上げる満里奈。
満里奈「あっ、起きた? 具合大丈夫?」
咲希「うん……。あの、また私……」
満里奈「いつものやつよ。咲希、頑張りすぎるとすぐ倒れるんだから」
咲希「もしかして、また満里奈が介抱してくれたの?」
満里奈「半分ね。朝、早めに来たら藤堂さんと駅であって」
咲希「えっ、藤堂さん?」
咲希が驚いていると、そこに志築がやってくる。
志築「もう、起きて大丈夫なのか?」
不安げな顔に、咲希は唖然とする。
咲希(世話を焼かれないって目標、もう……失敗してる……)
志築「宮部さんから『いつものことだから』と言われて寝かせておいたんだが、病院には行かなくて大丈夫なのか?」
咲希「は、はい。貧血だと思うので」
満里奈「部屋を見るに、食事とか睡眠とか忘れて掃除してたんだろうなって思ったの」
咲希「うっ……(図星)」
満里奈「もうっ、掃除は、私がやるって言ったでしょ」
咲希「でも、あの……」
満里奈「それで絵を描く時間がなくなったら、コンペどうするつもり?」
咲希「そもそも、コンペは……」
満里奈「あ、テーマは星だって。あとキャンバスサイズも決まったから、元気になったら画材やいこ!」
咲希「あ、う……」
どんどん話を進めていく満里奈。
咲希が戸惑っていると、志築がその横にそっと立つ。
志築「嫌なら、無理はしなくて言い(小声で)」
咲希「えっ?」
志築「コンペには無理に参加しなくていいよ」
咲希「いいんですか?」
志築「でも、良かったら君の絵を見せてくれないか? 出来たら、描いているところも」
笑顔で言われ、咲希は思わず頷いてしまう。
志築「あと、許可なく家に立ち入ってすまない」
咲希「あ、謝らないでください。むしろ、助けて頂いてありがとうございます」
志築「いいんだよ。早めに来ておいて、良かった」
咲希「でも、どうして……?」
志築「見学させてもらうのに、何もしないのは気が引けた。掃除を手伝おうと思ったんだだけど、必要なかったようだね」
咲希(よかった、片付けておいて……)
ほっと胸をなで下ろす咲希。
だがそんな姿を見ていた満里奈が、アトリエの奥の戸棚に近づく。
満里奈「本当に、ちゃんと片付けられたのかしら?」
怪しいという顔で、戸棚に手を伸ばす満里奈。
咲希、そこで猛烈に慌てる。
咲希「まーちゃん待って、そこはっ!」
満里奈が戸棚を開けた瞬間、とんでもない量のスケッチや絵の具が棚から飛び出す。
咲希、恥ずかしさに思わず手で顔を覆う。
その横で、志築が「なるほど」という顔で棚を見ている。
志築「確かに、混沌だ」
満里奈「こういう棚が、至る所にありますよ」
咲希「なんでわかるの……?」
満里奈「何年友達やってると思ってるの? 咲希が、突然片付け上手になるなんてあり得ないんだから」
咲希「わ、私だってやれば……」
満里奈「頑張りは認めるけど、たとえ雷に打たれたって、咲希が整理整頓出来るようにはならないと思う」
咲希「か、返す言葉がありません……」
咲希(実際、雷に打たれるくらいすごい目に遭ってるけど、この体たらくだもんね……)
二人のやりとりを見て、志築が小さく吹き出す。
志築「二人は、ずいぶん仲がいいんだね」
満里奈「幼なじみなんです。ちっちゃい頃から、私が咲希の面倒ずっと見ててきて」
咲希「はい、見られてきました」
志築「ははっ、認めるんだ」
咲希「まーちゃんにお世話になったのは事実ですし、感謝もしているので」
満里奈「だったら、今後も私を頼ればいいのよ。大人になっても、おばさんになっても、おばあちゃんになっても咲希の面倒は私が見るって決めてるんだから」
咲希「さすがに、おばあちゃんになったら老人ホームにお世話になるから大丈夫だよ」
満里奈「そこは、未来の旦那とか子供の世話になるって言うところでしょ」
旦那という言葉に、つい小さく息を呑んでしまう咲希。
満里奈「あんた、眼鏡さえ取れば可愛いんだから」
咲希「それは、幼なじみの欲目だよ」
満里奈「いや、可愛い。藤堂さんも、そう思いますよね」
咲希(な、なんでそこで、志築さんにふるの……!?)
志築「ああ、すごく可愛いと思うよ」
咲希「え?」
咲希、そこで今眼鏡を外したままだったことに気づく。
志築「そういえば、眼鏡がなくても見えるの?」
咲希「は、はい。見えなくするための眼鏡なので」
志築「見えなくする……?」
満里奈「この子昔から目が良すぎるというか、いろいろ過敏で……。だから見えない方が落ち着くってあえてあの分厚い眼鏡を……」
志築「逆に目が悪くなったりはしない?」
満里奈「そこが咲希のすごいところで、全然視力がおちないんですよね。いっそ、悪くなった方がこの可愛い顔のままでいられるのにねーって、冗談になるくらい」
志築「眼鏡をかけてても十分可愛いと思うけど」
咲希「へっ!?」
戸惑う咲希。満里奈はそこで僅かに眉をひそめる。
満里奈「藤堂さんって、もしかして女たらしです?」
咲希「ちょっ、まーちゃん!」
満里奈「だって、お世辞がナチュラルすぎます! それに私の咲希に手を出そうとしてるなら……」
咲希「あり得ないでしょう! そもそも、手を出す理由がない! 私が手を出すならまだしも!」
志築「手を出してくれるの?(からかうように)」
咲希「そういう意味じゃなくて! あり得ないって言うか、私に手を出す必要もないというか!」
満里奈「まあそっか。志築さんそもそも恋人とかいそうですしね」
志築「恋人はいなけど、考えなしに大学生に手を出すつもりもない」
満里奈「本当に?」
志築「俺も画家を目指していた身だ。才能はなかったけど、ならせめて未来ある画家たちの手助けをしたいって思ってる」
志築、そこで咲希に微笑みかける。
志築「本業とは別だけど、この活動は俺の生きがいなんだ。咲希さんみたいな才能を潰す気はないし、むしろ大事に育てたいと思ってる」
満里奈「そこまで言うなら信じます。咲希の才能を買ってくれているのは事実みたいだし」
そこで、遅れてきた哲也と五十嵐が家にやってきた声がする。
咲希「み、みんな来たし、描こう!」
満里奈「その前に買い出し行かないと」
志築「それなら、自分が行くよ。駅までは車だったし、画材は重くなるだろう」
満里奈「藤堂さん、神ですか?」
志築「いや、女たらし」
満里奈「ぐっ、以外と根に持つタイプ……」
志築「冗談だよ」
二人の掛け合いに、咲希は思わず微笑む。
咲希(この二人、そういえば結構気が会いそうなんだよね)
咲希(そういう所は変わらない……。いや、変わったのは私だけ……か……)
寂しさを覚えつつ、咲希は二人と共に友人を迎えに玄関に向かう。
○現代:志築の車(買い出しの途中)
運転席には志築、助手席には満里奈、後部座席に咲希が乗っている。
志築、バックミラー越しに先を見つめる。
志築「もし具合悪くなったら、横になっていいから」
咲希「ありがとうございます。今は大丈夫です」
志築「でも、休んでなくて良かったの?」
満里奈「この子、画材は自分で選ばないと駄目なタイプなんで」
志築「こだわりがあるんだ」
咲希「こだわりというか、画材を選んでると何を書きたいかはっきりするので」
満里奈「その分選ぶのに時間かかるので、咲希を置いて私たちはスーパーで買い出しに行きましょう」
志築「心得てるね」
満里奈「咲希マスターなんで」
咲希「なんだか、ポケモンにでもなった気分」
満里奈「鳴き声からステータスまでいえちゃうよ。身長は155センチ、体重は――」
咲希「わぁーーー!」
恥ずかしさに慌てて身を乗り出し、満里奈の腕を掴む。
満里奈「あと、結構恥ずかしがり屋って特性があります」
志築「勉強になるよ」
満里奈「あと好物は焼き鳥なんで、頼み事するときはねぎまでつってください」
咲希「つられないし!」
咲希(前のときは、結構つられたけど……けどっ!もう、絶対つられない!)
○回想:咲希の家
志築「ねえ咲希、今度の休日どこかで欠けないか?」
咲希「志築さんずっと忙しかったし、家でゆっくりした方がいいんじゃないですか?」
志築「咲希と、出かけたくて」
咲希「うーん、でもひと月ぶりのお休みなら私とじゃなくて……」
志築「見つけたんだよね、咲希が好きそうな焼き鳥のお店」
咲希「焼き鳥!?」
思わず反応してから、咲希はハッと我に返る。
志築、「言質取った」と言う感じでにっこり笑う。
○現代:志築の車
咲希(誘ってくれるのは嬉しかったけど、あれも無理……してたんじゃないのかな……)
咲希(出かける場所はいつも合わせてくれたし、食事だって焼き鳥みたいな庶民的な物じゃなくて、きっと高級なお店とかの方が志築さんは好みだっただろうし)
グルグルと考えながら、咲希は車の中をぐるりと見渡す。
咲希(でもそういえば、志築さんの好きな食べ物って知らないかも)
咲希、満里奈と笑いながら話している志築の顔をそっと窺う。
咲希(好きな食べ物を聞いても、『何でも好き』とか、『食べれるよ』っていわれたけど……、明確な答えをもらったことってなかった……)
咲希(なんだか踏み込めなくて、何も知らずに来ちゃったけど……。夫のことを知ろうとしない妻に、愛想を尽かすのは当然かも)
咲希小さなため息をこぼし、窓の外に目を向ける。
咲希M「時が戻ってから、私の中で後悔と反省が雪のように降り積もっている」
咲希M「それに気を取られるばかりで、私はまだ、何一つ正しい行動がとれていない気がする」
咲希「もう、間違えたくないな……(小声で)」
うなだれる咲希。
その姿を、バックミラー越しに志築が心配そうに見ている。
○現代:画材屋・絵の具売り場の前
満里奈「じゃあ、私たちは必要な物買ってるから、咲希はここにいてね」
咲希「うん」
満里奈「絶対どこにも行かないでね……っていっても、咲希が画材屋から離れることはないか」
咲希「大丈夫だよ、子供じゃないし」
満里奈「子供より手がかかるくせに」
咲希「うっ」
満里奈「ともかく、咲希はゆっくり見てて!」
立ち去る満里奈と志築に手を振り、咲希は絵の具の棚をぼんやり見る。
咲希(コンペには参加しないけど、絵は妥協できない)
絵の具をいくつか手に取りながら、モチーフについて考える咲希。
普段はどこかのんびりしている咲希の顔が引き締まり、ここではない遠く――描きたい光景に意識を集中させていく。
咲希「そうだ、筆……。使いたいの……折れちゃってた……」
心ここにあらずのまま、咲希はフラフラと移動し始める。
○現代:画材屋・絵筆コーナー
移動した咲希は、絵筆を吟味している。
でもしっくりくる物がないのか、あれこれ手に取っては棚に戻している。
そんな咲希に、近づく怪しい男人影。
明らかに不審者だが、咲希は気づかない。
棚の一番上の筆を執ろうと背伸びをする咲希の臀部に、男はじりじりと手を伸ばす。
だが指先が触れる直前、その手を志築が掴む。
志築の声でハッと我に返る咲希。
真後ろにっつ怪しい男にぎょっとする。
男「あ、あの、背中にゴミが……ついて……いたので……」
必死に言い訳をする男。
志築は笑顔を浮かべつつ、男と距離を詰める。
志築「今度この子に近づいたら、タダじゃおかない」
普段の穏やかさが嘘のような、冷たく鋭い顔で男を睨む志築。
男は怯え、志築の腕を振り払うと逃げ出す。
状況が飲み込めず、ぽかんとする咲希。
志築「痴漢だ。未遂で終わったが、あれは多分常習犯だな」
咲希「えっ、痴漢!?」
志築「こういう死角が多い店にはよくいるんだ。捕まえたかったが、現行犯じゃないと無理なのは面倒だな……」
咲希「触らせた方が、よかったです?」
志築「そういう意味じゃない」
志築、怒ったように咲希を見る。
鋭い眼差しに咲希が驚くと、志築は慌てて顔を背ける。
志築「ごめん」
咲希「い、いえっ! そもそも、私の不注意が招いたことなので!」
志築「でも今のはキツすぎた。よく言われるんだ、お前は目つきや口調がキツいって」
咲希「そんなことないですよ。むしろあの、今の100倍くらい怒ってくれてもいいくらい」
志築「怒らないよ、君には嫌われたくないし」
志築は微笑むが、咲希は前に出る。
咲希「嫌わないので、怒って下さい」
志築「怒って下さいなんて、初めて言われた」
咲希「だって、無理して優しくするなんて不健全です。だから思ったことは、ちゃんと言って下さい」
咲希(今度はもう、無理させたくない……)
咲希の言葉に驚きながら、志築は苦笑する。
志築「別に無理して優しくしてるわけじゃない。でもそうだな、必要以上に自分を偽るのはやめるよ」
咲希「はいっ、それで」
志築「じゃあ、さっそくまずはお説教かな」
咲希「は、はい……」
緊張して硬くなる咲希を見て、志築はぷっと吹き出す。
志築「冗談だよ。自分をもっと大事にはしてほしいけど、君に怒るつもりはない」
志築「ただ、心配だから買い物の間一緒にいてもいい?」
咲希「は、はい! でも嫌じゃ……」
志築「自分は偽らないって言っただろ。だから、君の側にいたいのは俺の意志だ」
志築の言葉に、咲希は嬉しくなる。
志築「さっきの痴漢のこと、お店に報告したら続きを見よう」
志築の言葉に、咲希は頷く。
○現在:咲希家のアトリエ
咲希・満里奈・五十嵐・達也の四人が、それぞれ制作を行っている。
咲希(星……。前のときは、ふるさとの空を書いたけど……)
咲希、志築の顔がよぎる。
咲希(今の――私にとっての星を描きたいな。私の……導きの星……)
浮かんだモチーフは志築の手。
自分を導き、光り輝く場所に連れて行った大事な手を思い出しながら、咲希は筆を走らせる。
(咲希の絵は抽象画なので、手そのものは描かない。なので志築の手だとは、一見気づかれない)
咲希の絵を、満里奈がのぞき込む。
満里奈「なんか、咲希の絵……雰囲気変わった?」
咲希「そ、そうかな?」
満里奈「前よりずっといいよ! っていうか、なんか急激にうまくなってない?」
咲希、満里奈の指摘にドキッとする。
咲希「スランプを抜けだしたくて、めちゃくちゃ書いてたからか……な?」
満里奈「前々からすごかったけど、なんかもう追いつけないって感じ……」
満里奈の言葉に、哲也たちも絵をのぞき込んで「すげぇ」と声を上げる。
そこに、志築がやってくる。
咲希「ふえっ、夕飯!?」
満里奈「あんたまた、絵に夢中で聴いてなかったの? 志築さんがお鍋作ってくれたんだって」
咲希(ご飯を作らせないって目標も、早速失敗してる……)
志築「迷惑、だったかな?」
シュンとする志築に、咲希は首をぶんぶん横に振る。
咲希「いえ、ありがとうございます!」
満里奈「よかった」
志築、そこで咲希の絵に気がつき、息を呑む。
志築「これは、すごいな」
夕飯に呼びに来たことも忘れ、食い入るように見つめる志築。
その横顔を見つめ、咲希は微笑む。
咲希(志築さんに絵を見てもらえるの、やっぱり嬉しい……)
咲希(真剣な、まっすぐな瞳を、今だけは独り占めできるし)
志築、真剣な顔をのまま咲希の方を向く。
目が合い、ドキッとする咲希。
志築「やっぱり、君が欲しい」
告白にも似た志築の言葉に驚く咲希。
満里奈たちも「どういうこと!?」「告白!?」という感じで息を呑んでいる。
志築「どうしても、ほしい」