溺れるほど甘い、でも狂った溺愛
玄関のドアを閉めると、部屋の静けさが、さっきまでのアトリエの空気とあまりに違っていて――
思わず、胸の奥がきゅっと縮んだ。
コートを脱ぐと、袖口からふわりと甘い香りが漂う。
(……まだ、残ってる)
アトリエのオーブンで焼いたマドレーヌの香り。
バターと砂糖が焦げる直前のあの匂い。
でも、そこに微かに混ざっている。
絵の具と紙、そして彼の部屋の温度。
(……おかしいな。いつも通りに帰ってきたはずなのに)
部屋の灯りをつけても、光の加減さえ違って見える。
まるで、アトリエにいたときの時間がまだ身体のどこかに張り付いているみたいだった。
テーブルにバッグを置いて、手のひらを見つめる。
粉をこぼしたときに少しだけ触れた、
神城さんの指先の感触がふと蘇る。
(“あなたの場所を作っておきたくて”……)
あの言葉が、ずっと耳の奥に残っている。
優しく聞こえたのに、その奥に、どうしようもないほどの「確かさ」があった。
まるで――
“逃げ場をなくすため”のやさしさみたいだ。
胸の奥で、心臓が静かに脈打つ。