『青い春の迷い星（ステラ）』 ～10歳年上の幼馴染は、一番遠い婚約者～

第十二章：蓮の過去と、冷徹な仮面の裏の孤独

慈善パーティーでの夜以来、柚月は蓮との間に、以前とは違う奇妙な緊張感を覚えるようになった。蓮は、あの夜以降、柚月に対し物理的な接触を一切避けている。しかし、その視線は、柚月が他の誰とも関われないよう、より厳しく、粘着質になったように感じられた。

柚月は、蓮の行動を、「支配」と「羞恥心」の現れだと解釈した。
（彼は、酔って弱みを見せてしまったことを恥じている。だから、より完璧な冷徹な御曹司として振る舞おうとしているのだわ）

柚月の蓮への評価は、「不器用な支配者」として固定され、彼の孤独や真意を理解しようとする余地は全くなかった。
一方、蓮は、あの夜、柚月に見せた感情の露呈を深く後悔していた。彼は、柚月の恐怖に満ちた瞳を思い出し、自分の愛が、いかに彼女を追い詰めているかを痛感した。

「二階堂様、本日の役員会議の資料です」
秘書の神崎が、蓮の執務室に入ってきた。神崎は、幼い頃から蓮の側仕えをしており、彼の冷徹な仮面の裏にある真の苦悩を唯一知る人物だ。

蓮は、資料に目を通しながらも、どこか集中できていない。
「神崎。私は、間違っているのだろうか」蓮は、珍しく弱々しい声で尋ねた。

「柚月様との婚約の件でございますか」
「私は、彼女を守ろうとしている。私が全てを支配下に置く方が、彼女にとって最も安全な道だと信じている。しかし、彼女は私を憎んでいる」
神崎は、静かに頷いた。

「柚月様にとって、二階堂様の『守る』という行為は、『自由を奪う』ことと表裏一体でございます。それは、二階堂様ご自身が、幼い頃から経験されてきたことではないでしょうか」

蓮の表情が、痛みを伴うほどに歪んだ。

神崎の言葉は、蓮の過去の孤独を呼び起こした。
二階堂グループの御曹司である蓮の人生は、幼少期から全てが『二階堂』という巨大な枠組みの中で決定されてきた。彼は、一度として個人の願いを優先することを許されなかった。

七歳の頃、蓮が唯一夢中になったのは、祖父の書斎で見つけた古い天体望遠鏡だった。彼は、夜空に輝く星々に、「自由」と「逃避」を重ねていた。
しかし、その望遠鏡は、ある日突然、父によって**「不必要なもの」として捨てられた。

「蓮、お前が学ぶべきは、星ではない。経済と経営だ。御曹司にとって、私的な感情や趣味は、不要な弱点となる」
その日以来、蓮は、自分の感情を完全に殺すことを覚えた。そして、「完璧な御曹司」という仮面を被り、父が求める冷徹なビジネスマンを演じ続けた。

彼は、「感情」や「愛」といったものは、全て「弱点」であり、「合理的判断の邪魔になるもの」だと信じ込むようになった。

蓮は、柚月を自分と同じ孤独から守ろうとした。彼女が「品がない」と責められ、「失敗」して心を傷つけられるのを見たくなかった。だからこそ、彼は柚月に完璧を強要し、冷徹な支配者を演じ続けたのだ。
しかし、その彼の歪んだ優しさは、柚月には全く伝わらず、むしろ彼女の憎しみを増幅させていた。

「二階堂様」神崎が、静かに蓮に声をかけた。
「柚月様は、『愛のない人生は送りたくない』とおっしゃいました。そして、二階堂様は、ご自身の孤独を柚月様にも味わわせまいと、間違った優しさを強いてしまっている。それが、今のすれ違いの根源でございます」

蓮は、目を閉じた。彼の心は、柚月の憎しみと、自分の真意が伝わらない苦痛で満たされていた。
「柚月は、あの男（結城）の温かい眼差しを必要としている。私が与えられない、私的な感情を」
「では、なぜ、それを正直にお伝えにならないのですか。『君を愛しているから、私のものでいてほしい』と」

蓮は、神崎の言葉に、嘲笑にも似た笑みを浮かべた。
「そんな弱い言葉を、柚月が信じると思うか？ 彼女は私を支配者だと見ている。今さら愛を語っても、それは新たな支配の道具としか映らないだろう」

蓮は、柚月の誤解の壁があまりにも分厚いことを理解していた。そして、その壁を壊す勇気も、術も、今の彼にはない。
蓮は、デスクに広げられた柚月の写真に、そっと指を触れた。

「私は、柚月が一生、私を憎んでも構わない。だが、二度と危険な目には遭わせない。彼女の居場所は、この世で最も安全な場所でなければならない」
それは、愛の告白ではなく、孤独な守護者の誓いだった。

蓮は、柚月を愛しているからこそ、愛を隠し、嫌われる道を選んだ。そして、柚月はその蓮の行動を、「愛のない支配」だと確信した。
二人の切ないすれ違いは、蓮が孤独な過去の記憶と、歪んだ愛の論理から、一歩も踏み出せない限り、永遠に解消されないだろう。