『青い春の迷い星(ステラ)』 ~10歳年上の幼馴染は、一番遠い婚約者~
第四章:御曹司の冷たい眼差しと「嘘」の偽装
二階堂家での顔合わせから、数日が経った。
柚月は自室の窓辺に立ち、中庭の梅の木を見つめていた。あの時、蓮に突きつけられた言葉が、まだ耳の奥で冷たく響いている。
「青い春の迷い」――。
蓮にとって、柚月の「愛する人」の存在など、取るに足らない、すぐに消えるべき、幼稚な感情だったのだ。あの侮蔑に満ちた眼差しを思い出すたびに、柚月の胸は熱くなった。
(蓮さまは、きっと、私がただ見合いを断るための嘘をついたと思っているわ。だから、一週間後にまた私を呼び出して、私が観念するのを待っている)
柚月は、自分の「愛」が蓮に一蹴されたことに屈辱を感じた。同時に、自分の「愛する人」が、彼によって「家柄も財力も持たない」と断罪されたことも、柚月を奮い立たせた。
「認めさせなければならない。これは迷いなんかじゃないって」
しかし、どうすれば蓮に認めさせられるだろう?蓮が最も嫌うのは、「不確実なもの」「一条家の品格を損なうもの」だ。
柚月は、意を決して、昨夜、結城先輩に連絡を取った。
「二階堂さまが、私の想いを『青い春の迷い』だとおっしゃいました。彼に、これが真剣な交際 だと信じてもらうために……私たち、付き合っているふりをしていただけませんか」
結城先輩は、驚きながらも、すぐに柚月の切実な状況を理解してくれた。「わかった。君がそこまで覚悟を決めているなら、協力するよ。君の力になれるなら、ね」と。
柚城先輩は、あくまで「協力」として柚月の提案を受け入れた。柚月の心は真実だが、結城先輩にとっては「見合いを断るための手段」という共通認識ができたのだ。
そして今日、柚月は、その「嘘」の偽装工作の第一歩を踏み出すことにした。
柚月は、放課後、人通りの少ない旧校舎の裏手で、結城先輩を待っていた。
やがて、柔らかな日差しの中、先輩が姿を現した。
「柚月ちゃん、待たせたね」
「結城先輩、ありがとうございます」
柚月は、用意していた小さな箱を先輩に差し出した。「これ、あの……手作りのクッキーです。バレンタインのお返し、遅くなりましたけど」
先輩は嬉しそうに笑った。「わざわざ?ありがとう。柚月ちゃんらしい、可愛らしいラッピングだね」
二人が、クッキーの感想などを話していると、突然、冷たい風が吹き抜けた。柚月は、背筋に悪寒が走るのを感じた。
(誰か、いる……)
反射的にそちらを振り向くと、植え込みの陰に、見慣れた黒い車が停まっているのが見えた。そして、その車の窓が、ほんのわずかに開いている。
そして、その開いた隙間から、蓮の冷徹な眼差しが柚月たちに向けられているのが、はっきりと見えた。
柚月の心臓が、喉元まで飛び出しそうになる。
(監視だわ!やはり、彼は私を信じていない!)
蓮は、柚月が「愛する人」と接触している現場を、「決定的な証拠」として確認しに来たのだろう。柚月は、彼が自分を軽蔑し、説教するためにここにいるのだと確信した。
柚月は、全身が凍り付きそうになるのを堪え、大胆な行動に出た。
彼女は、意図的に結城先輩に一歩近づき、先輩の制服の袖を、ぎゅっと握りしめた。
「結城先輩……あの、一週間後、またあの二階堂さまにお会いします。わたくし、先輩との仲が本気だということを、行動で示したいんです」
柚月は、結城先輩に聞こえるか聞こえないかの小さな声で、涙が滲んだような表情を繕いながら囁いた。
結城先輩は、柚月の切羽詰まった様子と、彼女の小さな手が自分の袖を握りしめていることに驚きながらも、すぐに柚月の意図を察した。
「ああ、わかっているよ、柚月ちゃん。心配しないで。僕は君の味方だ」
結城先輩は、柚月の頭にそっと手を乗せ、優しく撫でた。
その瞬間、柚月は、蓮に向けられている窓の隙間の光が、さらに鋭く、冷たいものに変わったのを明確に感じた。
「先輩……」柚月は、感謝と、状況への焦燥がない交ぜになった声を漏らした。
この光景――「社長令嬢が、学校の裏手で、家柄も財力も知れない男と親密に触れ合っている」という現実は、蓮の「一条の品格」という完璧な世界観を、激しく揺さぶったはずだ。
柚月は、蓮の車が、急発進するように荒々しくその場を去るのを、固唾を飲んで見送った。
蓮は、二階堂グループの本社ビルに戻る車の中で、冷たい怒りに耐えていた。
(「愛する人」……これが、柚月が言っていた「愛する人」の正体か)
彼は、後部座席でネクタイを緩めもせず、その場で見た光景を何度も反複した。制服姿の男と、桜色の振袖から着替えたばかりの、可愛らしい顔をした柚月。彼女は、あの男に「触れられている」。
蓮は、柚月のことを「苦手」だと公言する、生意気で、未熟な年下の幼馴染だと思っていた。そして、彼の説教を煩わしく思いながらも、最終的には「一条家の娘」としての役割を果たすと信じていた。
だが、あの柚月の必死な眼差しは、「迷い」などではなかった。あれは、蓮に対する、そして二階堂家に対する、明確な拒絶の意思表示だった。
彼女は本気で、あの「取るに足らない男」に恋をしている。
蓮の心臓は、静かに、しかし、強く脈打っていた。それは、裏切られたような、あるいは最も大切にしていたものが穢されたような、形容しがたい感情だった。
(あの男が、彼女の「自由」だと?私の「指導」が、彼女を苦しめていたとでもいうのか?)
蓮は、スマホを取り出し、秘書に短い指示を出した。
「一条柚月の交友関係について、至急調査を入れろ。特に、あの男についてだ。二階堂家に嫁ぐに相応しい人間かどうか、徹底的に調べ上げろ」
彼の指示は、冷徹なビジネス判断に基づいているように聞こえた。柚月の恋人など、排除すべき障害でしかない。
しかし、蓮の心の奥底には、別の感情が渦巻いていた。それは、柚月の「愛する人」という存在に対する、強い嫉妬だった。
(あの男は、私の「代わり」だ。私が与えられなかった「優しさ」と「自由」を、あの男が与えている。一条の娘をたぶらかす、分不相応な男だ)
蓮は、目をつむり、自分を冷静に保とうとした。
「……君を、誰にも渡したくない」
その言葉は、誰にも聞こえない、蓮自身の真の想いだった。だが、彼の不器用さと立場が、その真意を柚月に伝えることを許さない。
蓮は、柚月の「愛する人」の存在を「一条家に相応しくない障害」だと誤解した。
そして、柚月は、蓮の冷たい眼差しを「軽蔑」と解釈し、彼の行動を「監視と嫌がらせ」だと誤解した。
二人の関係は、これで完全に、拗れた糸のように絡まり合ったのだった。
柚月は自室の窓辺に立ち、中庭の梅の木を見つめていた。あの時、蓮に突きつけられた言葉が、まだ耳の奥で冷たく響いている。
「青い春の迷い」――。
蓮にとって、柚月の「愛する人」の存在など、取るに足らない、すぐに消えるべき、幼稚な感情だったのだ。あの侮蔑に満ちた眼差しを思い出すたびに、柚月の胸は熱くなった。
(蓮さまは、きっと、私がただ見合いを断るための嘘をついたと思っているわ。だから、一週間後にまた私を呼び出して、私が観念するのを待っている)
柚月は、自分の「愛」が蓮に一蹴されたことに屈辱を感じた。同時に、自分の「愛する人」が、彼によって「家柄も財力も持たない」と断罪されたことも、柚月を奮い立たせた。
「認めさせなければならない。これは迷いなんかじゃないって」
しかし、どうすれば蓮に認めさせられるだろう?蓮が最も嫌うのは、「不確実なもの」「一条家の品格を損なうもの」だ。
柚月は、意を決して、昨夜、結城先輩に連絡を取った。
「二階堂さまが、私の想いを『青い春の迷い』だとおっしゃいました。彼に、これが真剣な交際 だと信じてもらうために……私たち、付き合っているふりをしていただけませんか」
結城先輩は、驚きながらも、すぐに柚月の切実な状況を理解してくれた。「わかった。君がそこまで覚悟を決めているなら、協力するよ。君の力になれるなら、ね」と。
柚城先輩は、あくまで「協力」として柚月の提案を受け入れた。柚月の心は真実だが、結城先輩にとっては「見合いを断るための手段」という共通認識ができたのだ。
そして今日、柚月は、その「嘘」の偽装工作の第一歩を踏み出すことにした。
柚月は、放課後、人通りの少ない旧校舎の裏手で、結城先輩を待っていた。
やがて、柔らかな日差しの中、先輩が姿を現した。
「柚月ちゃん、待たせたね」
「結城先輩、ありがとうございます」
柚月は、用意していた小さな箱を先輩に差し出した。「これ、あの……手作りのクッキーです。バレンタインのお返し、遅くなりましたけど」
先輩は嬉しそうに笑った。「わざわざ?ありがとう。柚月ちゃんらしい、可愛らしいラッピングだね」
二人が、クッキーの感想などを話していると、突然、冷たい風が吹き抜けた。柚月は、背筋に悪寒が走るのを感じた。
(誰か、いる……)
反射的にそちらを振り向くと、植え込みの陰に、見慣れた黒い車が停まっているのが見えた。そして、その車の窓が、ほんのわずかに開いている。
そして、その開いた隙間から、蓮の冷徹な眼差しが柚月たちに向けられているのが、はっきりと見えた。
柚月の心臓が、喉元まで飛び出しそうになる。
(監視だわ!やはり、彼は私を信じていない!)
蓮は、柚月が「愛する人」と接触している現場を、「決定的な証拠」として確認しに来たのだろう。柚月は、彼が自分を軽蔑し、説教するためにここにいるのだと確信した。
柚月は、全身が凍り付きそうになるのを堪え、大胆な行動に出た。
彼女は、意図的に結城先輩に一歩近づき、先輩の制服の袖を、ぎゅっと握りしめた。
「結城先輩……あの、一週間後、またあの二階堂さまにお会いします。わたくし、先輩との仲が本気だということを、行動で示したいんです」
柚月は、結城先輩に聞こえるか聞こえないかの小さな声で、涙が滲んだような表情を繕いながら囁いた。
結城先輩は、柚月の切羽詰まった様子と、彼女の小さな手が自分の袖を握りしめていることに驚きながらも、すぐに柚月の意図を察した。
「ああ、わかっているよ、柚月ちゃん。心配しないで。僕は君の味方だ」
結城先輩は、柚月の頭にそっと手を乗せ、優しく撫でた。
その瞬間、柚月は、蓮に向けられている窓の隙間の光が、さらに鋭く、冷たいものに変わったのを明確に感じた。
「先輩……」柚月は、感謝と、状況への焦燥がない交ぜになった声を漏らした。
この光景――「社長令嬢が、学校の裏手で、家柄も財力も知れない男と親密に触れ合っている」という現実は、蓮の「一条の品格」という完璧な世界観を、激しく揺さぶったはずだ。
柚月は、蓮の車が、急発進するように荒々しくその場を去るのを、固唾を飲んで見送った。
蓮は、二階堂グループの本社ビルに戻る車の中で、冷たい怒りに耐えていた。
(「愛する人」……これが、柚月が言っていた「愛する人」の正体か)
彼は、後部座席でネクタイを緩めもせず、その場で見た光景を何度も反複した。制服姿の男と、桜色の振袖から着替えたばかりの、可愛らしい顔をした柚月。彼女は、あの男に「触れられている」。
蓮は、柚月のことを「苦手」だと公言する、生意気で、未熟な年下の幼馴染だと思っていた。そして、彼の説教を煩わしく思いながらも、最終的には「一条家の娘」としての役割を果たすと信じていた。
だが、あの柚月の必死な眼差しは、「迷い」などではなかった。あれは、蓮に対する、そして二階堂家に対する、明確な拒絶の意思表示だった。
彼女は本気で、あの「取るに足らない男」に恋をしている。
蓮の心臓は、静かに、しかし、強く脈打っていた。それは、裏切られたような、あるいは最も大切にしていたものが穢されたような、形容しがたい感情だった。
(あの男が、彼女の「自由」だと?私の「指導」が、彼女を苦しめていたとでもいうのか?)
蓮は、スマホを取り出し、秘書に短い指示を出した。
「一条柚月の交友関係について、至急調査を入れろ。特に、あの男についてだ。二階堂家に嫁ぐに相応しい人間かどうか、徹底的に調べ上げろ」
彼の指示は、冷徹なビジネス判断に基づいているように聞こえた。柚月の恋人など、排除すべき障害でしかない。
しかし、蓮の心の奥底には、別の感情が渦巻いていた。それは、柚月の「愛する人」という存在に対する、強い嫉妬だった。
(あの男は、私の「代わり」だ。私が与えられなかった「優しさ」と「自由」を、あの男が与えている。一条の娘をたぶらかす、分不相応な男だ)
蓮は、目をつむり、自分を冷静に保とうとした。
「……君を、誰にも渡したくない」
その言葉は、誰にも聞こえない、蓮自身の真の想いだった。だが、彼の不器用さと立場が、その真意を柚月に伝えることを許さない。
蓮は、柚月の「愛する人」の存在を「一条家に相応しくない障害」だと誤解した。
そして、柚月は、蓮の冷たい眼差しを「軽蔑」と解釈し、彼の行動を「監視と嫌がらせ」だと誤解した。
二人の関係は、これで完全に、拗れた糸のように絡まり合ったのだった。