完璧な嘘、本当の愛
悠一との初対面
会議室は、朝日が差し込んでいた。
春菜は会議資料を前に、最後の確認をしていた。今日は高級時計ブランド「ロイジェン」との打ち合わせ。春夏の新作キャンペーンに関する企画提案の日だ。資料は完璧に仕上げてある。プレゼンテーションの原稿も、何度も見直した。
「では、始めましょう」と営業部長が言った。
ドアが開く。時計ブランド側の担当者が入ってくる。営業責任者、デザイナー、そして……。
春菜の視線が、その人に止まった。
背が高く、洗練された佇まい。紺のスーツは、完璧に仕立てられている。髪は黒く、程よく長め。年は30代半ばだろうか。その人が、春菜と視線で交わった。
「こちらが、ロイジェンのデザイナー・遠島悠一です」と営業責任者が紹介した。
遠島。そう名乗ると、その人は会議室の空気が少し変わったように感じた。知的で、落ち着いている。完璧さが漂っている。
春菜は立ち上がり、一礼をする。「ご来社ありがとうございます」。完璧な社会人らしく。
遠島は頭を下げ、「こちらこそ」と返した。その声は低く、落ち着いていた。
プレゼンテーション。春菜が資料を開く。「今回のキャンペーンのコンセプトは、『時間の価値』です」と春菜が切り出す。「高級時計のターゲットである30代から50代の経営層に対して、『自分の時間を大切にする』というメッセージを打ち出します」。
スライドが進む。色彩構成、タイポグラフィ、写真のレイアウト。全て計算されている。
遠島が身を乗り出した。「色彩構成について、詳しく教えていただけますか?」
春菜は、その質問に答える。「深い紺とシャンパンゴールドを基調に、背景は白でシンプルに。高級感を出しつつも、親近感を失わないバランスを意識しました」。
遠島は頷く。その頷き方が、単なる社交辞令の返答ではなく、本当に理解し、興味を持っているように感じられた。
「トレンドについての考察も、興味深いですね」と遠島が続ける。「デジタル化が進む時代だからこそ、『手で触れる時間の価値』というアナログなメッセージが活きるという視点。「これは……」と遠島は目を上げて春菜と視線を合わせた。「深く考えられていますね」。
その一言で、春菜の心が微かに揺らいだ。褒められるのは慣れているが、この褒め方は違う。表面的ではなく、本質を見ている。
「ありがとうございます」と春菜は答える。
会議は1時間続く。遠島は何度か質問を重ねた。それらは全て、深い思考を促す質問だった。春菜も、その問いに対して、即座に応答する。二人の間に、ある種の思考の流れが生まれていた。
会議終了。皆が席から立つ。
遠島が春菜に近づいた。「よければ、また会いませんか?」と遠島は言った。「企画の詳細について、もっと深く話し合いたいのですが」。
春菜は一瞬、躊躇した。完璧な娘として、そのような個人的な関わりは想定されていない。しかし、その躊躇は瞬間的だった。
「はい。喜んで」と春菜は答えた。
その瞬間、春菜の内側で何かが動いた。それは、親が決めた人生ではなく、自分の気持ちで誰かを選んでいるという感覚。その感覚は、新しく、そして少し怖かった。
アパートに帰った春菜は、ベッドの上に横たわる。天井を見つめながら、遠島のことを考えていた。その落ち着いた声。深い知識。完璧な外見。そして、謎めいた部分。
本当の自分を知りたいという欲望。それが、この人との出会いで、初めて芽生えた。
春菜は、明日の約束を指折り数えるように待つことになるとは、まだ知らなかった。
春菜は会議資料を前に、最後の確認をしていた。今日は高級時計ブランド「ロイジェン」との打ち合わせ。春夏の新作キャンペーンに関する企画提案の日だ。資料は完璧に仕上げてある。プレゼンテーションの原稿も、何度も見直した。
「では、始めましょう」と営業部長が言った。
ドアが開く。時計ブランド側の担当者が入ってくる。営業責任者、デザイナー、そして……。
春菜の視線が、その人に止まった。
背が高く、洗練された佇まい。紺のスーツは、完璧に仕立てられている。髪は黒く、程よく長め。年は30代半ばだろうか。その人が、春菜と視線で交わった。
「こちらが、ロイジェンのデザイナー・遠島悠一です」と営業責任者が紹介した。
遠島。そう名乗ると、その人は会議室の空気が少し変わったように感じた。知的で、落ち着いている。完璧さが漂っている。
春菜は立ち上がり、一礼をする。「ご来社ありがとうございます」。完璧な社会人らしく。
遠島は頭を下げ、「こちらこそ」と返した。その声は低く、落ち着いていた。
プレゼンテーション。春菜が資料を開く。「今回のキャンペーンのコンセプトは、『時間の価値』です」と春菜が切り出す。「高級時計のターゲットである30代から50代の経営層に対して、『自分の時間を大切にする』というメッセージを打ち出します」。
スライドが進む。色彩構成、タイポグラフィ、写真のレイアウト。全て計算されている。
遠島が身を乗り出した。「色彩構成について、詳しく教えていただけますか?」
春菜は、その質問に答える。「深い紺とシャンパンゴールドを基調に、背景は白でシンプルに。高級感を出しつつも、親近感を失わないバランスを意識しました」。
遠島は頷く。その頷き方が、単なる社交辞令の返答ではなく、本当に理解し、興味を持っているように感じられた。
「トレンドについての考察も、興味深いですね」と遠島が続ける。「デジタル化が進む時代だからこそ、『手で触れる時間の価値』というアナログなメッセージが活きるという視点。「これは……」と遠島は目を上げて春菜と視線を合わせた。「深く考えられていますね」。
その一言で、春菜の心が微かに揺らいだ。褒められるのは慣れているが、この褒め方は違う。表面的ではなく、本質を見ている。
「ありがとうございます」と春菜は答える。
会議は1時間続く。遠島は何度か質問を重ねた。それらは全て、深い思考を促す質問だった。春菜も、その問いに対して、即座に応答する。二人の間に、ある種の思考の流れが生まれていた。
会議終了。皆が席から立つ。
遠島が春菜に近づいた。「よければ、また会いませんか?」と遠島は言った。「企画の詳細について、もっと深く話し合いたいのですが」。
春菜は一瞬、躊躇した。完璧な娘として、そのような個人的な関わりは想定されていない。しかし、その躊躇は瞬間的だった。
「はい。喜んで」と春菜は答えた。
その瞬間、春菜の内側で何かが動いた。それは、親が決めた人生ではなく、自分の気持ちで誰かを選んでいるという感覚。その感覚は、新しく、そして少し怖かった。
アパートに帰った春菜は、ベッドの上に横たわる。天井を見つめながら、遠島のことを考えていた。その落ち着いた声。深い知識。完璧な外見。そして、謎めいた部分。
本当の自分を知りたいという欲望。それが、この人との出会いで、初めて芽生えた。
春菜は、明日の約束を指折り数えるように待つことになるとは、まだ知らなかった。