敏腕社長の密やかな溺愛
4.二人で
 ところが翌日、教室に現れたのは春子ではなかった。

「ど、どうして社長がここに?」

 開始時間を少し過ぎた頃、急いで入ってきたのは和弘だった。シャツとチノパンというラフな格好が眩しい。

「遅れてすまない。母が腰をやってしまったらしい。『先生がもう用意なさっているから、とにかく行ってきて』と連絡が来て、とりあえず来た。母から連絡が来ていないか?」

 そう言われて自分のスマホを確認すると、数分前に春子から連絡が来ていた。

『出かける直前にぎっくり腰になってしまったの。キャンセルしたらお野菜がもったいないので、和弘を向かわせました。やらせてみてくれる?』

「……来てました、連絡」
「そうか。じゃあ始めてくれ」
「えぇ? 本当にやるんですか?」

 千明の大声に、和弘は不思議そうな顔をした。

「そのために来たと言っただろう」
「そうですけど……社長にお時間を割いていただくことでもないですし」
「和弘」
「はい?」

 千明が聞き返すと、彼は真面目な顔で千明を見つめていた。

「社外なんだから、『社長』はやめろ」
「か、和弘さん……」
「よろしくお願いします、『先生』」

 戸惑いがちに名前を呼ぶと、和弘は笑いながら頭を下げた。

(からかわれてない!?)

 そう思った千明だったが、和弘は意外にも真面目にカービングに取りかかった。


「なるほど……思いきって刃を入れてしまってもいいんだな」
「そうですね。その方が恐る恐るやるより、まっすぐ刃が入るので。思い切りが大事です。和弘さんは筋がいいですよ」
「ははっ、嬉しいな」

 玉ねぎを切って花のようにしていくのだが、和弘はかなり上手くカービングできていた。
 社長に指導するという奇妙な状況に混乱していた千明だったが、和弘が真剣に取り組むので、気がつくといつものような指導が出来ていた。

「だいぶ先生のやつに近い形になってきた」
「はい! ばっちりですよ」
「よしっ。次を教えてくれ」

 ひとつ教えたことができるたびに子供のように無邪気に微笑んでくれる。

(こんなに楽しんでくれるなんて、嬉しいっ!)

 初心者に教えるのは久しぶりだったが、その楽しさを思い出した。



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