敏腕社長の密やかな溺愛
 自席に戻って仕事に取り組んでも、モヤモヤは晴れない。パソコンを操作していると袖の茶色いシミが目に入るのも、モヤモヤの一因だった。
 重い気持ちのまま仕事を進めるが、集中できないまま定時が近づいていた。

(駄目だ。休憩しよ)

 気分を変えようと、給湯室に向かうと、中から声が聞こえてきた。
 斎藤だ。彼女の同期たちもいるようだ。

「広報のこと何も分かってないのに、本当にどんな手を使ったんだっつー話!」
「記者会見の司会に指名されるなんてねー。千明先輩って、イベントには絶対顔出さないのに」
「それ! それなのに仕事とられるなんて最悪。間一髪で取り返したけど」
「強いじゃん。でも、千明先輩も非力なふりして意外とえげつないんだ。広報二課ギスギスしてるねー」

 自分の名前が聞こえてきて、指先がどんどんと冷たくなっていく。大学時代の陰口がフラッシュバックした。

『千明? あぁ、ぶりっ子ね』
『事故とか嘘なんじゃなーい?』
『やりたくないことを事故のせいにしてるだけでしょ』

(なんで……嫌っ!)

 思わず後ずさりすると、ドンと背中が誰かにぶつかった。振り返ると、そこには課長が立っていた。

「……っ!」
「ちょっと来て」

 課長は静かに千明をその場から連れ出した。



 連れてこられたのは小さめの会議室で、入った瞬間、彼は盛大なため息をついた。

「斎藤と喧嘩したの? 揉め事は困るよー。斎藤は広報二課のエースなんだから」

 悪口を言われていたのは千明なのに、課長は顔をしかめて千明をたしなめた。

「……申し訳ありません」

 千明は指先だけでなく、全身が冷たくなっていた。震える身体を抑え込んでも、冷や汗が止まらなかった。

(もう止めて……)

 そう思っても課長からの叱責は止まらない。長々とした話が千明の耳を通り過ぎていく。

「……ってこと。聞いてる? 小野さんにはもう少し協調性を養ってほしいって話。……ったく、木下の言ってたことも分かるわ」
「え?」

 よく知らぬ名前を出されて千明は首をかしげる。すると課長は「言ってなかったっけ?」と笑みを浮かべた。

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