鬼火姫〜細工師の契約婚姻譚〜

10話 共犯のお誘い

 たっぷり凛火との時間を取った後、爽は狩人の会合に参加していた。

「遅かったな『英雄』」
「悪かったな」
「どうせ奥さんと戯れてたんだろ。お熱いことで〜」
「こどもができるのも時間の問題かー?」

 同僚たちの軽口を聞き流して、爽は自分の座布団の上に座った。
 今日は緊急で開かれた会合だった。一体何があったのか。しかし同僚たちの様子を見ていると、それほど深刻な話は上がっていないように感じる。

「そろったか」

 腹に響く声が、その場を支配した。途端に、その場がシンと静まり返る。決して大きい声ではない。ただ、その声が響いた瞬間、背筋が伸びるような、背中を叩かれたような感覚になる。
 その声を聞いたら、馬鹿でも分かる。
 今目の前にいるこの男こそが、狩人の頂点に立つ人間なのだ、と。
 その男は大男だった。背丈は二尺を超え、胴回りは爽の二回り以上ある。血管の浮き出る腕は、丸太のように太い。

「鷺利隊長、ご無沙汰しております。本日は突然の会議でございますが、何かございましたでしょうか」

 畳に拳をつけて一礼し、爽は口上を述べた。
 鷺利はジロリと爽を見ると、立ったまま狩人を見回した。

「鬼の出現が頻発していることは、皆も知っているだろう。それに加えて、鬼火姫を鬼たちが探している。もう猶予がないぞ。百年前の厄災の日も、鬼が鬼火姫を探す行動を取っていたことが、ことの始まりだったのだ」

 空気がピリついた。狩人たちは、鬼が頻繁に鬼火姫のことを口にしていると知っている。百年前の厄災が繰り返されるかもしれないのだ。何としても避けたい。

「よって『英雄』は、鬼火姫捜索を第一優先任務とする。天帝から受け取った羅針の反応はどうだ」
「どうだも何も、反応なしです。ですが、承知いたしました。鬼火姫の捜索を、早急に進めてまいります」
「頼んだぞ」

 頭を垂れながら、爽の背中は冷や汗を流した。
 まずいことになった。鬼火姫捜索が急務になっている。なんとか誤魔化さなければ、凛火の存在がバレてしまう。
 羅針は常に反応しているのだ。当然だ。家に帰れば鬼火姫がいるのだから。だが、凛火を差し出すわけがない。彼女のことは、自分が守ると決めたのだから。

**********

 昼頃、凛火は綾城家の一室で、正座をして凌空と向き合っていた。細工作りを我慢してまでとった時間だ。凌空の無茶苦茶を何とかして、爽の迷惑にならないようにしたい。

「凌空。私は大丈夫だから、騒ぎを大きくしようとしないで」
「何でだよ!凛火にはもっと安全なところがある。それこそ、こんな人だらけのところで過ごす必要ないだろ」
「私が、ここがいいのよ」
「よくない!凛火は騙されてるんだ。あいつ、隠し事をしてるんだぞ!」
「何でそんなことが分かるのよ」
「勘だ!」
「そんなの馬鹿正直に信じるわけないじゃん!」
「俺の勘は当たるって凛火も知ってるだろ!」

 確かにそうだ。だが、そんな話はしていない。

「私は、あなたの助けは必要ないと言っているの。それを聞かず、自分の我儘を押し付けるのは迷惑だよ!」

 凛火の啖呵に、凌空がグッと言葉に詰まった。

「それは…」
「それに、私が鬼火姫だってことを、爽さまは知っているの」
「は?」

 凌空が意表を突かれたように目を丸くした。

「な、なんで。だってあいつ、狩人だろ⁉︎」
「うん、気づくよね。爽さまが狩人だって。でも、狩人でありながら、私のことを庇ってくださってるの」
「そんなのおかしいだろ!なんで狩人が…!」

「凛火さん」

 静かな声が、部屋に響いた。
 振り返ると、襖から爽が覗き込んでいる。

「爽さま⁉︎いつの間に…!」
「たった今だ。それより、凛火さん。彼と話がしたいんだ。いいかな」

 凛火は凌空を見た。正直心配だが、爽ならば悪いようにはならないだろう。
 凌空はキッと爽を睨みつけていた。親の仇でも見るような目だ。

「凌空。落ち着いて話をしてきてね」
「……分かった。凛火がそう言うなら」

 渋々といった程で立ち上がった凌空は、先導する爽について行った。

 

 爽は凌空を伴って自室に戻った。爽が凛火に、結婚初日に「入るな」と明言した部屋であり、凛火は今でもその約束を守ってくれている。
 
 凛火をこの部屋に入れるわけにはいかないのだ。

「で?なんだよ、話って」

 太々しい態度で凌空は胡座をかいた。半目になり、指で耳の穴をほじくっている。完全に聞きたくないけど仕方ないから聞いてやる、という態度だ。
 爽は凌空の前に正座した。

「君は、鬼だな」
「おおそうだ。だからなんだよ狩人。言っておくが、俺は今まで一度たりとも人を襲ったことはないからな」
「そうだろうな。君からは、清らかな気配がしている。凛火さんと同じだ」

 凌空はムッとした顔で、爽を見つめた。少し背筋が伸びている。

「僕は、狩人であり『英雄』だ。鬼火姫を倒す責務がある」
「なっ…!」
「だが、僕は凛火さんを殺す気は毛頭ない。むしろ、彼女を守りたい」
「何おかしなこと言ってやがる!そんなの信用できるかっ!やっぱり、凛火を連れて…」
「待ってくれ。彼女を守るために、君に協力してほしいんだ。だから呼んだ」

 爽がまっすぐに凌空を見つめると、凌空はじっとりと爽を睨んだ。しかし、それでも爽が目を逸らさなかった。やがて根負けしたように、凌空はため息をついた。

「…なんでそんなに、凛火を守ろうとするんだよ」
「彼女の母親と約束したんだ。彼女を厄災にはさせないと。それに、僕自身が、凛火さんに惹きつけられた。凛火さんを死なせるくらいなら、僕が死ぬ」
「…本気かよ」
「本気だよ。僕は冗談は言わないんだ」

 過激な発言をしたとは思えないほど、爽の瞳は凪いでいた。

「だから、協力してほしい。今日の会議で、鬼火姫討伐が本格化した。凛火さんが見つかるのも時間の問題だ。僕だって、どこまで誤魔化せるか分からない。狩人の妻という隠れ蓑も、どこまで通用するか」
「俺に、何をしろって言うんだよ」
「凛火さんに危険が降りかかった時、彼女に身を守る術がない。細工の術は完全ではないし、鬼の力の源である角が折れているからね。だから、彼女を守ってほしいんだ。君の力で」
「お前はその間何してるんだよ」
「僕は狩人だ。任務であちこち行って、正直ずっと凛火さんの近くにいることはできない。側にいられるならずっと一緒にいたいけど、それが叶わない。だから、君に任せたい。そして、もし君の力でも難しい時は、凛火さんの力を復活させてくれ」
「……は?」

 爽の言葉の意味が分からず、凌空は首を傾げた。
 凛火の角は折れているのだ。力を復活させることなんて、できるはずがない。

「何変なこと言ってんだよ。そんなの、俺でどうにかできてたら、今頃凛火を角なしになんてさせてねえよ」
「できるんだ」

 爽は立ち上がると、文机に向かった。引き出しを開けて中身を全て取り出す。引き出しの奥に手を伸ばし、わずかな凹凸に指を引っ掛けた。カタンと音がして、引き出しの床が外れた。
 立ち上がった凌空が、引き出しを覗き込む。
 そこには、小さな箱が入っていた。何の変哲もない、ただの木箱に見える。

「なんだよ、これ」

「凛火さんの角だよ」

 爽は箱を取り出すと、蓋を開けた。そこには、柔らかい布で包まれた、白杉のように滑らかな角があった。
 箱が開いた瞬間、凌空はビリビリと背中に走る刺激を感じた。痛みを覚えるほどの、強烈な刺激だ。

「なんでこれが、お前のところに!」
「凛火さんのお母さんから預かった。彼女から、折れた角の断面を合わせると元に戻ると聞いている。力も発揮できるはずだ」
「凛火は知ってんのかよ、このことを!」
「知らない。だから、凛火さんに角を返すのは最終手段だ。そんなこと、あってほしくないのが、僕の正直な気持ちだ」

 爽は蓋を閉じると、凌空の胸に箱を押し付けた。

「君に預かっていてほしい。その箱が開かれないことを願うよ」

 箱の蓋が閉じれば、角の刺激はなくなった。箱自体が、角の力を封印する役目を担っているのだろう。

「なんで、俺なんだよ。俺はお前を敵視する鬼だぞ」
「なんでって、そうだな」

 爽は一瞬考えると、口角をニッと上げた。

「僕なりの、信頼の証だよ」
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