私があなたを好きだということだけ知っていてくれたら、それでいい。(うそ、本当はあなたの一番になりたい)
第三話
後日、私は何も無かったかのような体で五十嵐君に話しかけた。
彼は驚いていたけれど、そもそも表情に出にくい人のため、周りは気づかない。
と、思っていたのだが……「ねえ、五十嵐君となにかあった?」と夢花から聞かれてしまった。
どうやら、私の態度で気づいたらしい。さすが、夢花だ。私は詳細は伏せ、五十嵐君に告白したけれど、返事はいらないと言ったことだけを夢花に伝えた。テンションが一瞬で上がった夢花に焦って、「変にくっつけようとしないでほしい。いつもどおりでお願い」と頼んだ。
私の本気が伝わったのか、夢花は真剣な顔で「わかった」と言い、山田君にも釘を刺してくれた。そのおかげか、五十嵐君との仲もしばらくすれば今までのように戻ったのだった。
◇
とある日の放課後、私は一人日直の仕事をしていた。残念ながら、もう一人の日直は今日は欠席だった。
「姫川さん」
「あれ、五十嵐君どうしたの?」
彼から話しかけてくるなんて珍しい。
「大我たちが、先にカラオケに行っていると」
「OK。わかった。……五十嵐君も先に行ってていいよ?」
「いえ、僕一人であの二人と行くのは少し気まずいといいますか」
「ああ、そうだよね。ごめんね。もう少しで終わるから」
「いえ、ゆっくりで大丈夫ですよ」
と、言われてもどうしても五十嵐君からの視線が気になる。耐えきれず、私は手を動かしながら口を開いた。
「そういえば、山田君と五十嵐君って性格とか趣味も反対だよね。仲良くなったきっかけとかあるの?」
「僕ら幼なじみなんです」
「え?! そうなの? あれ、でも、五十嵐君って山田君にも敬語だよね?」
「はい。これは僕の癖みたいなものなので」
「そうなんだ。 え、じゃあ恋人とかにも敬語なの?」
「恋人っ、そ、そう、ですね」
微かに頬を赤らめる五十嵐君を見て、自分の発言の大胆さに気づいた。
(告白しておいてこの話題はちょっと……だったよね)
「えっと……あの、もうこれしたら、終わるから」
「は、はい」
何とも言えない雰囲気の中、日直の仕事を終わらせ、学校を二人で出た。しかし、角を曲がった瞬間、赤いスポーツカーが止まっているのが見え、自ずと足は止まってしまった。車体の赤が、夕焼けに照らされてギラついて見えた。先に気づいたのは私。
五十嵐君はまだ気づいていなかったようで、私の視線の先を見て歩みを止めた。車のドアが開き、今一番会いたくなかった人物が降りてくる。彼女はこちらを、というより五十嵐君を視界に入れ、まっすぐこちらへと近づいてきた。私は無意識のうちにうつむいた。彼女が鳴らすヒール音が、私と彼の間の隔たりを示すように、カツカツと響く。
「拓人、少し話したいことがあるんだけれど」
「沙耶さん。……わかりました」
その言葉に顔を上げる。五十嵐君と視線が交わる。
「姫川さん、先に行っていてもらえますか?」
「う、うん」
頷き、歩き出す。怖くて後ろを振り向けなかった。車に乗り込む音が聞こえてくる。次いで、私の横を車が走っていった。私は……それを黙って見ることしかできなかった。行かないでと言うことも、追いかけることすらも、できなかった。
結局、私は夢花たちがいるカラオケには行かず、私と五十嵐君が行けなくなった旨だけを連絡して、帰宅した。夢花から返信は返ってきたが、それにスタンプのみで応え、スマホの電源を落とした。五十嵐君から連絡が来ても、来なくても、今の私には冷静でいられる自信がなかったから。
翌日、スマホの電源を入れると五十嵐君から二件の着信が入っていた。
「ごめん、昨日電源落ちてるの気づかなくて!」
いろいろ考えた末の言い訳を口にすれば、五十嵐君は「そうだったんですね」とだけ言い、微笑んだ。その笑みはいつもよりかたい気がしたけれど、私はそれはただの自分の都合のいい夢で、気のせいだということにした。
聡い彼のことだから、私の複雑な心境にも気づいていて、私が今までどおりに振舞おうとすれば彼も併せてくれるだろう。
予想通り、彼はそれ以上追求してこなかった。後は、私側の問題。
◇
「ねえねえ、葵。今日こそ遊びに行こうよ~」
「ごめん! 今日も無理。というか、しばらくの間無理だと思う。家庭の事情で遊ぶ時間作れそうにないっていうか……」
「えー」
夢花は不服そうな顔をしつつも、「家の事情なら仕方ないか」と納得してくれた。私は彼女に甘えそのまま、とある場所へと向かう。五十嵐君と距離を置きたいタイミングではあったが、用事がるのも本当なのだ。
グルメアプリでも高評価がたくさんついている小さな洋食屋。その店の扉を開く。
「お兄~きたよ~」
「おー」
カウンターの中から、この店の店長である私の兄が声をあげた。
そう、この洋食屋は兄とその奥さんが二人で営んでいる店。なのだが、奥さんは今妊娠中で、しかも臨月。ということもあり、出産で里帰りをしている。最初、兄からは奥さんがいない間だけバイトとして入ってくれないか、と頼まれたのだが一度私はそれを断ったのだ。けれど、その後いろいろあり――五十嵐君とのこととか――こうして私はバイトではなく、手伝いとして入ることとなった。
と、いう経緯があり、私はしばらくの間忙しいのである。
「葵ちゃんーこれ四番にお願い」
「はい」
手伝いの私とは違い、正規アルバイトとして入ってる陽太さんから、できたばかりの料理を受け取る。
その際、陽太さんからにっこりスマイルもいただいてしまった。年上、イケメンの破壊力はすごい。同級生にはいないタイプだ。黒髪マッシュでインナーカラーに深い青色を入れている。オシャレ大学生。
彼を雇ってから女性客が増えたと兄夫婦は喜んでいた。今も、カウンター席とテーブル席、どちらもほぼ埋まっている。
(たしかに、これは人手がいる忙しさだ)
忙しい。けれど、それがいい。余計なことを考えないで済むから。
しかも、美味しい賄いと、無料の家庭教師つきだ。
店じまい後、賄い兼夕食を食べ、私は陽太さんに勉強を見てもらっていた。
「そう、ここの式つかえばいいんだよ」
「なるほど。だとしたら……」
「そうそう。おー! すごい。応用もばっちりじゃん。葵ちゃんてば天才!」
なんて、褒めるのも上手なのだ陽太さんは。その笑顔は、太陽みたいに曇りがない。
「おーい。おまえら、そろそろ帰った方がいいんじゃねえのー?」
「え、お兄今日は車ダメな日なんだっけ?」
いつもは送ってくれるのに、と首を傾げる。
「今日は嫁さんとこの実家に顔出す日なんだよ」
「あーそっか。わかった」
「なら、葵ちゃんは俺が家まで送りますよ。歩きだけど」
「え、そんな」
「おー陽太、頼んでいいか?」
「ちなみに、残業手当ってでます?」
「でねぇよ! でも、明日の賄いはデザート付きだ!」
「やった!」
人懐っこい笑顔を見せる陽太さんは実年齢よりも幼く見えて、笑ってしまった。口下手な私だが、陽太さんの恐ろしいコミュ力の高さによって会話が途切れることなく家までたどり着いた。
「ありがとうございました」
「いえいえ、また明日ねー」
「はい」
手を振って、家に入る。
まさか、その姿を誰かに見られていたとは知らず。
「葵! 葵! 彼氏が出来たって本当?!」
いきなり夢花にそんなことを聞かれて驚いた。
「え? できてないけど」
「本当に?」
「本当だよ! っていうかなんでそんな疑うの?!」
「だって、見たっていう人いるんだもん」
「なにを?」
「夜に葵がイケメンと二人で歩いてるの」
「え? ……あーそれってもしかしたら陽太さんのことかも」
「誰それ」
「お兄の店でバイトしてる人だよ。しばらく、私忙しいっていったでしょ? それ、お兄の店の手伝いしてるからなんだよ。お兄の奥さんが出産で里帰りしてるから。で、いつもはお兄に家まで送ってもらってるんだけど……どうしてもダメな日は陽太さんが送ってくれてるの」
「……なんだ。やっぱりそういうことだったんだ! だって、五十嵐君」
「え?」
おどろいて後ろを見ると、山田君と五十嵐君がいた。
「よかったな拓人!」
と山田君が五十嵐君の肩をたたいている。私は血の気が引いた。
「ちょ、ちょっと待ってよ、夢花! そういうのはなし! 五十嵐君に迷惑かけないでって言ったでしょう」
「葵、葵こそ、五十嵐君と一回話をちゃんとしてみた方がいいと思うよ」
逃げないで、とぷくっと頬を膨らます夢花。
(これは完全に変な勘違いを起こしてる)
「逃げてないから。ていうか、そろそろチャイムなるんじゃない?」
「え、本当だ!」
「わ、やべ!」
慌てて席に戻るお騒がせカップル。五十嵐君とは一瞬目があいそうになった気がするが、その前に私の方から逸らした。だから、五十嵐君がどんな顔で、この状況を受け止めているのかは、知るすべがなかった。
◇
お兄の店の手伝いをはじめてから一ヶ月経った頃。まさかのお客様がきた。
「わ、ほんとに葵が働いてる!」
「な!」
「二人とも、声のボリュームを少し下げた方がいいかと。他の方のご迷惑になるかもしれませんから」
五十嵐君に諭され、慌てて口を閉じるカップル。
「い、いらっしゃいませ」
私は頬をヒクつかせながら、三人組を奥の席へと通すことにした。
「ねえねえ、葵」
「本日のオススメはこちらとなっております」
にっこり微笑み、オススメメニューを提示して、私はさっとカウンターの中へと引っ込んだ。
できるだけ彼らから見えないように、お兄と陽太さんを肉壁にする。
「葵ちゃん。もしかして、あの人達、葵ちゃんのお友達?」
狭いカウンター内。自ずと距離は近くなる。小声で話すとなればさらに。私はその距離感にどぎまぎしながら、頷き返した。
「そっか。なら、先に休憩に入っちゃう?」
陽太さんの提案内容がわかっていたのか、お兄もちらっとこっちを見て頷いている。どうやら、二人とも「ここは俺たちに任せて行ってこい」と言いたいらしい。その気持ちはありがたいが……。
「ううん。大丈夫。学校でも会えるし、今からもっと人が増える時間帯でしょ?」
学校帰りの女子高生や女子大生たちが陽太さん狙いでやってくるはずだ。
「あー。いや、でも本当にいいの?」
「いいんです」
「そっか。ほんと葵ちゃんは真面目でいい子だね~」
「はいはい」
隙あらばすぐに褒め言葉を口にする陽太さんを軽くあしらう。こんな会話、お客様に聞かれたら、恨まれること間違いなしだ。私は仕事に徹する。
夢花たちは店の混雑具合を見て空気を読んだのか、私に話しかけてくることもなく、普通に食事をして帰っていった。夢花だけは、レジの際に「頑張ってね!」の一言だけを残していったが。五十嵐君とは目を合わせることすらなかった。
店を閉めていると、今日は用事があるからと先に帰ったはずの陽太さんが戻ってきた。
「どうしたんですか?」
と尋ねれば、陽太さんが店の外を指さした。どうやら私を待っている人がいるらしい。夢花か……と思い、今日はそのまま徒歩で帰るとお兄に告げ、店を出た。けれど、そこにいたのは夢花ではなかった。
彼は驚いていたけれど、そもそも表情に出にくい人のため、周りは気づかない。
と、思っていたのだが……「ねえ、五十嵐君となにかあった?」と夢花から聞かれてしまった。
どうやら、私の態度で気づいたらしい。さすが、夢花だ。私は詳細は伏せ、五十嵐君に告白したけれど、返事はいらないと言ったことだけを夢花に伝えた。テンションが一瞬で上がった夢花に焦って、「変にくっつけようとしないでほしい。いつもどおりでお願い」と頼んだ。
私の本気が伝わったのか、夢花は真剣な顔で「わかった」と言い、山田君にも釘を刺してくれた。そのおかげか、五十嵐君との仲もしばらくすれば今までのように戻ったのだった。
◇
とある日の放課後、私は一人日直の仕事をしていた。残念ながら、もう一人の日直は今日は欠席だった。
「姫川さん」
「あれ、五十嵐君どうしたの?」
彼から話しかけてくるなんて珍しい。
「大我たちが、先にカラオケに行っていると」
「OK。わかった。……五十嵐君も先に行ってていいよ?」
「いえ、僕一人であの二人と行くのは少し気まずいといいますか」
「ああ、そうだよね。ごめんね。もう少しで終わるから」
「いえ、ゆっくりで大丈夫ですよ」
と、言われてもどうしても五十嵐君からの視線が気になる。耐えきれず、私は手を動かしながら口を開いた。
「そういえば、山田君と五十嵐君って性格とか趣味も反対だよね。仲良くなったきっかけとかあるの?」
「僕ら幼なじみなんです」
「え?! そうなの? あれ、でも、五十嵐君って山田君にも敬語だよね?」
「はい。これは僕の癖みたいなものなので」
「そうなんだ。 え、じゃあ恋人とかにも敬語なの?」
「恋人っ、そ、そう、ですね」
微かに頬を赤らめる五十嵐君を見て、自分の発言の大胆さに気づいた。
(告白しておいてこの話題はちょっと……だったよね)
「えっと……あの、もうこれしたら、終わるから」
「は、はい」
何とも言えない雰囲気の中、日直の仕事を終わらせ、学校を二人で出た。しかし、角を曲がった瞬間、赤いスポーツカーが止まっているのが見え、自ずと足は止まってしまった。車体の赤が、夕焼けに照らされてギラついて見えた。先に気づいたのは私。
五十嵐君はまだ気づいていなかったようで、私の視線の先を見て歩みを止めた。車のドアが開き、今一番会いたくなかった人物が降りてくる。彼女はこちらを、というより五十嵐君を視界に入れ、まっすぐこちらへと近づいてきた。私は無意識のうちにうつむいた。彼女が鳴らすヒール音が、私と彼の間の隔たりを示すように、カツカツと響く。
「拓人、少し話したいことがあるんだけれど」
「沙耶さん。……わかりました」
その言葉に顔を上げる。五十嵐君と視線が交わる。
「姫川さん、先に行っていてもらえますか?」
「う、うん」
頷き、歩き出す。怖くて後ろを振り向けなかった。車に乗り込む音が聞こえてくる。次いで、私の横を車が走っていった。私は……それを黙って見ることしかできなかった。行かないでと言うことも、追いかけることすらも、できなかった。
結局、私は夢花たちがいるカラオケには行かず、私と五十嵐君が行けなくなった旨だけを連絡して、帰宅した。夢花から返信は返ってきたが、それにスタンプのみで応え、スマホの電源を落とした。五十嵐君から連絡が来ても、来なくても、今の私には冷静でいられる自信がなかったから。
翌日、スマホの電源を入れると五十嵐君から二件の着信が入っていた。
「ごめん、昨日電源落ちてるの気づかなくて!」
いろいろ考えた末の言い訳を口にすれば、五十嵐君は「そうだったんですね」とだけ言い、微笑んだ。その笑みはいつもよりかたい気がしたけれど、私はそれはただの自分の都合のいい夢で、気のせいだということにした。
聡い彼のことだから、私の複雑な心境にも気づいていて、私が今までどおりに振舞おうとすれば彼も併せてくれるだろう。
予想通り、彼はそれ以上追求してこなかった。後は、私側の問題。
◇
「ねえねえ、葵。今日こそ遊びに行こうよ~」
「ごめん! 今日も無理。というか、しばらくの間無理だと思う。家庭の事情で遊ぶ時間作れそうにないっていうか……」
「えー」
夢花は不服そうな顔をしつつも、「家の事情なら仕方ないか」と納得してくれた。私は彼女に甘えそのまま、とある場所へと向かう。五十嵐君と距離を置きたいタイミングではあったが、用事がるのも本当なのだ。
グルメアプリでも高評価がたくさんついている小さな洋食屋。その店の扉を開く。
「お兄~きたよ~」
「おー」
カウンターの中から、この店の店長である私の兄が声をあげた。
そう、この洋食屋は兄とその奥さんが二人で営んでいる店。なのだが、奥さんは今妊娠中で、しかも臨月。ということもあり、出産で里帰りをしている。最初、兄からは奥さんがいない間だけバイトとして入ってくれないか、と頼まれたのだが一度私はそれを断ったのだ。けれど、その後いろいろあり――五十嵐君とのこととか――こうして私はバイトではなく、手伝いとして入ることとなった。
と、いう経緯があり、私はしばらくの間忙しいのである。
「葵ちゃんーこれ四番にお願い」
「はい」
手伝いの私とは違い、正規アルバイトとして入ってる陽太さんから、できたばかりの料理を受け取る。
その際、陽太さんからにっこりスマイルもいただいてしまった。年上、イケメンの破壊力はすごい。同級生にはいないタイプだ。黒髪マッシュでインナーカラーに深い青色を入れている。オシャレ大学生。
彼を雇ってから女性客が増えたと兄夫婦は喜んでいた。今も、カウンター席とテーブル席、どちらもほぼ埋まっている。
(たしかに、これは人手がいる忙しさだ)
忙しい。けれど、それがいい。余計なことを考えないで済むから。
しかも、美味しい賄いと、無料の家庭教師つきだ。
店じまい後、賄い兼夕食を食べ、私は陽太さんに勉強を見てもらっていた。
「そう、ここの式つかえばいいんだよ」
「なるほど。だとしたら……」
「そうそう。おー! すごい。応用もばっちりじゃん。葵ちゃんてば天才!」
なんて、褒めるのも上手なのだ陽太さんは。その笑顔は、太陽みたいに曇りがない。
「おーい。おまえら、そろそろ帰った方がいいんじゃねえのー?」
「え、お兄今日は車ダメな日なんだっけ?」
いつもは送ってくれるのに、と首を傾げる。
「今日は嫁さんとこの実家に顔出す日なんだよ」
「あーそっか。わかった」
「なら、葵ちゃんは俺が家まで送りますよ。歩きだけど」
「え、そんな」
「おー陽太、頼んでいいか?」
「ちなみに、残業手当ってでます?」
「でねぇよ! でも、明日の賄いはデザート付きだ!」
「やった!」
人懐っこい笑顔を見せる陽太さんは実年齢よりも幼く見えて、笑ってしまった。口下手な私だが、陽太さんの恐ろしいコミュ力の高さによって会話が途切れることなく家までたどり着いた。
「ありがとうございました」
「いえいえ、また明日ねー」
「はい」
手を振って、家に入る。
まさか、その姿を誰かに見られていたとは知らず。
「葵! 葵! 彼氏が出来たって本当?!」
いきなり夢花にそんなことを聞かれて驚いた。
「え? できてないけど」
「本当に?」
「本当だよ! っていうかなんでそんな疑うの?!」
「だって、見たっていう人いるんだもん」
「なにを?」
「夜に葵がイケメンと二人で歩いてるの」
「え? ……あーそれってもしかしたら陽太さんのことかも」
「誰それ」
「お兄の店でバイトしてる人だよ。しばらく、私忙しいっていったでしょ? それ、お兄の店の手伝いしてるからなんだよ。お兄の奥さんが出産で里帰りしてるから。で、いつもはお兄に家まで送ってもらってるんだけど……どうしてもダメな日は陽太さんが送ってくれてるの」
「……なんだ。やっぱりそういうことだったんだ! だって、五十嵐君」
「え?」
おどろいて後ろを見ると、山田君と五十嵐君がいた。
「よかったな拓人!」
と山田君が五十嵐君の肩をたたいている。私は血の気が引いた。
「ちょ、ちょっと待ってよ、夢花! そういうのはなし! 五十嵐君に迷惑かけないでって言ったでしょう」
「葵、葵こそ、五十嵐君と一回話をちゃんとしてみた方がいいと思うよ」
逃げないで、とぷくっと頬を膨らます夢花。
(これは完全に変な勘違いを起こしてる)
「逃げてないから。ていうか、そろそろチャイムなるんじゃない?」
「え、本当だ!」
「わ、やべ!」
慌てて席に戻るお騒がせカップル。五十嵐君とは一瞬目があいそうになった気がするが、その前に私の方から逸らした。だから、五十嵐君がどんな顔で、この状況を受け止めているのかは、知るすべがなかった。
◇
お兄の店の手伝いをはじめてから一ヶ月経った頃。まさかのお客様がきた。
「わ、ほんとに葵が働いてる!」
「な!」
「二人とも、声のボリュームを少し下げた方がいいかと。他の方のご迷惑になるかもしれませんから」
五十嵐君に諭され、慌てて口を閉じるカップル。
「い、いらっしゃいませ」
私は頬をヒクつかせながら、三人組を奥の席へと通すことにした。
「ねえねえ、葵」
「本日のオススメはこちらとなっております」
にっこり微笑み、オススメメニューを提示して、私はさっとカウンターの中へと引っ込んだ。
できるだけ彼らから見えないように、お兄と陽太さんを肉壁にする。
「葵ちゃん。もしかして、あの人達、葵ちゃんのお友達?」
狭いカウンター内。自ずと距離は近くなる。小声で話すとなればさらに。私はその距離感にどぎまぎしながら、頷き返した。
「そっか。なら、先に休憩に入っちゃう?」
陽太さんの提案内容がわかっていたのか、お兄もちらっとこっちを見て頷いている。どうやら、二人とも「ここは俺たちに任せて行ってこい」と言いたいらしい。その気持ちはありがたいが……。
「ううん。大丈夫。学校でも会えるし、今からもっと人が増える時間帯でしょ?」
学校帰りの女子高生や女子大生たちが陽太さん狙いでやってくるはずだ。
「あー。いや、でも本当にいいの?」
「いいんです」
「そっか。ほんと葵ちゃんは真面目でいい子だね~」
「はいはい」
隙あらばすぐに褒め言葉を口にする陽太さんを軽くあしらう。こんな会話、お客様に聞かれたら、恨まれること間違いなしだ。私は仕事に徹する。
夢花たちは店の混雑具合を見て空気を読んだのか、私に話しかけてくることもなく、普通に食事をして帰っていった。夢花だけは、レジの際に「頑張ってね!」の一言だけを残していったが。五十嵐君とは目を合わせることすらなかった。
店を閉めていると、今日は用事があるからと先に帰ったはずの陽太さんが戻ってきた。
「どうしたんですか?」
と尋ねれば、陽太さんが店の外を指さした。どうやら私を待っている人がいるらしい。夢花か……と思い、今日はそのまま徒歩で帰るとお兄に告げ、店を出た。けれど、そこにいたのは夢花ではなかった。