君を守る契約

妊娠

このところ朝起きるのが辛い。目が覚めると起きたてから始まる気怠さやむかつきが始まる。お弁当を作るのも気が乗らず、本当に手抜きになってしまっている。宗介さんの国際線乗務が最近多いので彼の分を作らずに済んでいるのが救いだ。
痛みではない。熱でもない。ただ、体の奥が重い。
風邪の引き始めなのかな、と思いつつもなぜか胸の奥につかえるものがあった。
鏡に映る自分の顔色はいつもより少しだけ薄い気がしたがきっと誰にも気づかれないだろう。
玄関を出るとき、リビングの時計が静かに音を刻んでいた。
宗介さんはすでに長距離国際便で、今は空の上だ。昨日の出発前の電話で「無理するなよ」と優しく言われた言葉が、胸に残っている。
重い体を引きずるように空港に行き、制服に着替えると気が引き締まったのか先ほどより少しだけ体調が良くなったように思う。
午前の仕事を無事に終え、手荷物検査場からロビーへ移動する途中でふいに視界が揺れた。
——あれ?
空気が遠のくような、足先だけが少し地面から浮くような感覚が一瞬走る。
立ち止まったはずなのに、次の瞬間には足がもつれ、壁に手をつこうとした。

「浅川さん!?」

名前を呼ぶ声がして、腕をぐっと支えられた。その差し出された手をみるとそこに白石くんがいた。
いつも明るくて懐っこいパイロットの彼の顔が、今日は本気で青ざめていた。

「大丈夫ですか? ちょっと、ここに座って」

近くにあったベンチに連れて行かれ座らされる。腰を下ろすと景色がゆっくり元に戻っていく。意識はあるが、ただ体がついてこない。白石くんに大丈夫だよ、といいたいが、急に吐き気に襲われ、口を開けない。
胸の奥がざわっと波立つ。

「顔色が悪いですよ。医務室行きましょう」

とてもじゃないが今は動けない。小さく首を振ると彼は私の隣に座る。そして近くを通りがかったスタッフに私の体調不良を伝えつつ、ブランケットを持ってきてくれるように頼んでくれた。それに包まれしばらくじっと俯いているとようやく吐き気が少しだけ治った。

「ごめんね、白石くんを付き合わせてしまって。落ち着いてきたからもう大丈夫、だから……」

「全然いいですって。今日はもう帰るところだったんで問題ないです」

あっけらかんと話す彼になんだか申し訳なくも、ホッとさせられた。何を話すわけでもなく私の隣に座っていてくれるだけで、なんだか心強かった。
医務室へ向かう廊下を歩きながら、白石くんの手がずっと腕を支えてくれているのに気づいた。

「松永機長って確か今ロンドンっすよね」

「うん……。だから、心配かけたくなくて」

「いや、これ絶対帰ってきたら怒られますって。倒れたとか聞いたらマジでブチギレるやつですよ」

冗談交じりに言う彼の言葉に思わず笑みが溢れる。心配はしてくれるかもしれないけど、私たちは夫婦じゃなくて契約だけの関係なの、と思わず胸の中でこぼしてしまう。
宗介さん、今空の上なんだよね、何かあっても届かない距離。
さみしさと不安が、胸の奥に静かに降り積もっていく。

「大丈夫。本当に……少しふらっとしただけだから」

白石くんは少し睨むようにして言った。

「浅川さんがそう言う時ほど大丈夫じゃないと思うから俺がここにいるんですよ」

彼は口を膨らませ起こったような表情を浮かべる。その姿が幸也のようで胸が少しだけきゅっとなった。

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