嘘つきな騎士と破られた託宣 -龍の託宣6-
 次の場面では薄暗い部屋で紳士がテーブルを見やっていた。山積みの書類はすべてが借用書だ。その一枚を手に取り、紳士は静かに笑う。これは君が生きていた(あかし)。何が何でもすべて返してみせるから。そうひとり呟いて。

 幾度、前をよぎっても、愛するひとは自分に気づくことはない。あの瞳に見つめられて、いつも通りやさしく微笑んで欲しいのに。
 悲嘆にくれる彼女の思念が、リーゼロッテの心を締めつける。せり上がる涙を(こら)えながら、閉じていた瞼をそっと開いた。

「……あなたはあの方の奥様だったのですね」

 事情を知ったところで、どうすることもできはしない。そこに亡くなった奥さんがいますよなどと、紳士に声をかけるわけにもいかないだろう。かと言って未練を残したままここにいては、彼女は本格的に暗い異形となってしまう。

(一体どうしたら……)

 いまだ彼女は助けを求めるように見つめてくる。浄化の力を使えば天に還すのは簡単だ。だが本人の意思が伴わないまま(はら)うとき、異形たちは叫び声を響かせる。
 過ぎ去った記憶に囚われた異形と違って、彼女の思いは現在進行形だ。もしも彼女が自分で、紳士がジークヴァルトであったなら。無理やりに天に還すのは、その絆を力ずくで引きちぎる行為だ。異形が最期に上げる苦痛の叫びは、つまりはそういうことなのだ。

 ジークヴァルトが言うように、成り行きを黙って見守るしかないのだろうか。考えが定まらない中、ぽつりとひとり座る紳士に視線を向けた。
 ふいに紳士が立ち上がり、ふらりふらりと近寄って来る。すぐ目の前まで来ると、虚ろな瞳で紳士は片手を差し伸べてきた。

「よろしければ、わたしと一曲踊っていただけますか?」
「え……?」

 ジークヴァルトがいるにも関わらず、申し込まれたダンスに面食らう。

 ――わたしの代わりに彼と踊って欲しい
 返事をしあぐねていると、割り込むように再び彼女の思念が流れ込んできた。

 横たわった寝台で、やせ細った手を握られる。冷えた指先を温めるように、大きな手のひらがやさしく包み込んだ。

「新しい薬はどうそう? 少しは顔色が良いみたいだ」
「ええ、今度のはよく効いているみたい。痛みも随分楽になったわ」

 偽りの言葉で、安心させるために微笑んだ。もうひとりでは、腕ひとつ持ち上げることもできなくなった。咳を出さないようにと、彼女は慎重に浅い呼吸を繰り返す。

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