嘘つきな騎士と破られた託宣 -龍の託宣6-
「エーミールでいい」
「え?」
「呼び名だ。もう今さらだろう」
「ですがわたしはもう……」

 名で呼ぶのは貴族であるうちだけと、この冬に約束をした。平民となったエラにとって、エーミールはもはや雲の上の存在だ。

「いつかも言っただろう? 今は騎士団に身を置いているが、わたしはジークヴァルト様に生涯の忠誠を誓った。フーゲンベルク家の侍女長となったエラは、わたしとはいわば同志だ。ともに公爵家に仕え支える立場として、名で呼ぶくらい構わない」
「エーミール様……」

 ダーミッシュ家の屋敷の廊下で、エーミールと交わした会話が蘇る。今思えば、あの出来事がふたりのはじまりだった。切なく(うず)くこころを抑えきれなくて、エラは苦しげに奥歯をかみしめた。

「気持ちが悪いのか?」
「い、いえ……あの、今ここで飴を舐めてもよろしいでしょうか……?」
悪阻(つわり)(やわ)らぐとよく聞くな。ああ、そうするといい」

 エーミールにじっと見つめられたまま、エラは飴玉を口に含んだ。広がる甘さとともに、胃の不快感が引いていく。

(エーミール様は矜持(きょうじ)をもって旦那様にお仕えしている……リーゼロッテ様の侍女として、わたしもそれを見習わなくては……)

 音を立てないように飴を舌で転がしながら、エラは自分の気持ちに区切りをつけた。エーミールの心の中に、自分などもう存在しないのだから。

 それ以降会話もないまま、しばらくふたりで並んで座っていた。ほどなくしてロミルダがやってくると、エーミールはすぐこの場をあとにした。

「ロミルダ、迷惑をかけてすみません」
「いいのよそんなこと。それよりも……」

 エーミールの去る背を目で追ったあと、ロミルダが気づかわしげにエラを見やる。何もなかったと安心させるため、エラは静かに首を振った。

「気分が悪くなったわたしに、エーミール様はついていてくださっただけです」
「そう……」

 一瞬、何か言いたげにしたが、ロミルダはそれ以上聞いてはこなかった。切り替えるように笑顔をエラへと向けてくる。

< 61 / 302 >

この作品をシェア

pagetop