虐げられていた偽りの姫は(自称底辺の)最強魔術師に甘やかされる
 ソフィアは社交パーティーを経験したことがない、わけではない。
 チャップマン家では年に何度か晩餐会が開かれ、深夜一時まで及んだパーティーの片付けは使用人たちの役割だった。料理の後始末から部屋の清掃までありとあらゆることで駆け回り、ようやく解放されるのは朝方。一時間も仮眠が取れない状態で通常業務をこなさなければならなかった。

 だから、目の前に広がる豪華絢爛な光景を立ち止まって見るのは初めてのことだった。

「ソフィア?」
「あ……申し訳ありません。緊張が……」

 微かに震えていた手をぎゅっと握る。こんな場所など自分には無縁などと思ってきた。賑やかな声を裏の世界で聞き、客人がいなくなった部屋の後始末をすることがソフィアの仕事だったのだ。これがまさか、自分のような存在が表に立つなど許されてはいないような気がして、ソフィアの心を不安で埋め尽くしていく。

「緊張か。それはまた新鮮だな」

 ルイスが意外そうに目を見開く。

「僕は今まで緊張という緊張を経験したことがないんだ」
「え……今まで一度も?」
「ああ、だからソフィアが緊張しているというのは羨ましいよ。僕にはないことだから」

 羨ましいなどと、そんな大層なものではないのだが、それでもルイスは、そうか緊張か、と顎に手を当て呟く。パーティーとは、適当に会話に花を咲かせ、それらしい振る舞いをし、相手の望みをできるだけ叶えるための場所だと思っていた。それらを全てうまくこなしてしまえるのがルイスだっただけにソフィアの反応、一つ一つに目が離せない。

「これはこれはルイス様」

 晩餐会の家来として屋敷の前に立っていた男が、ルイスを見て声をあげた。しかしルイスがすっと手をあげたことで、その先を妨げられてしまった。

「今日は大事なパートナーを連れ添っているんだ」
「パートナー!」

 男はルイスの隣にいる縮こまったソフィアを見て、おどろきを二倍にさせた。なぜなら、あのルイスが出席するというのに、あろうことか彼が女性を連れてきたというのは前代未聞の話だったのだ。これは奥様に緊急で伝えに行かなければと焦る男にルイスは「あの方にもよろしく伝えてくれないか」と薄ら笑みを湛えた。

 あの方、などと他人行儀な呼び方をするあたり、未だ関係は修復されていないのだなと男は察しながら「もちろんです」とすぐさま屋敷の中へと戻って行った。

「さあ、行こうか」
「あ、あの、いいのですか? なにやら慌てていらっしゃみたいですけど……」
「ああ、いいんだ。問題児が来たとあってびっくりしているんだよ」
「問題児?」
「細かいことは気にしなくていいよ。ソフィア、なにが食べたい? ここは食材にこだわっているんだけど、ソースも美味しいんだ。好きなものを食べるといい」

 細いことを追求したい気持ちは山々だったが、ルイスにそっと阻止されてしまってはソフィアの出る幕はない。緊張を胸に抱きながら、一歩一歩確実に会場となっている部屋の内部へと足を踏み入れていく。

「ちょっと。ルイス様よ!」
「やだ、本当! あのルイス様が出席されるなんて」
「白銀の髪が美しいわ……」

 ひそひそと、囁かれる女性たちの色めきだった声がソフィアの耳にしっかりと届く。
 ルイスが歩けば、それらをじっと追うように、羨望にも似た多くの眼差しが送られる。

 もしかしてルイス様ってすごい方なの……?

 ソフィアはちらりとルイスの横顔を盗み見したつもりだったが、すぐにルイスが気付き「ん?」とやわらかな瞳を向けた。

「あ……いえ」

 しゅっと顔を足下に落としながら、着なれないドレスでなんとか前に進む。

「でもルイス様の隣の……あれは誰かしら?」
「見ない顔ね」

 ルイスに送られている視線とは別に、各方面からソフィアに対して厳しい目を向けるものも多くいた。そのほとんどはルイスに気がある女性──ばかりではなく。

「ルイス?」

 自身の家来から報告を受けたばかりの第一王子、レンブラントもまた、ルイスとソフィアに対し冷笑を浮かべた。


「ルイス様」「やあね、私が先よ」「私ですとも」

 ルイスの周りには数人の若い令嬢がいかに自分の家柄と人間性が優れているかということをアピールしていた。自分の父親の偉業、自分と結婚することのメリットなど、自分を選んでもらうかということだけに注力を注いだ時間が続いていた。ソフィアにとって、それはまるでおとぎ話を聞かされているようなものだった。

 身に纏う高価なパーティドレスは、普段着用していたおんぼろのワンピースよりもずっと重く、歩くだけでも細心の注意を払わなければいけないものだった。それだけでなく、この豪華な会場。賑やかな声は、いつだって壁越しに聞こえてくるものでしかなかった。すぐ隣には高級品だけに身を包んだ綺麗な女性たちがいるのだ。緊張しないはずがない。

 ソフィアは可能な限り、邪魔にならないよう努めた。せめてルイスの迷惑にだけはならないようにと、人がいない場所を狙ってはそそくさと移動し、そして自身という存在を掻き消すように息を殺した。そんなことをしていると、あっという間にルイスとの間には距離ができてしまい、そのことにルイスも気づかないはずがなかった。

 ソフィア、なぜそこまで自分を殺すのだ。

 ここに誰ひとりとして人がいなければ、ルイスは真っ直ぐ問いただしていただろう。ここに連れてきたのも、ソフィアにはこれからこういった場に慣れてもらうためだ。この先、ソフィアには幾度となく上流階級の人間しかいないようなパーティーに出席してもらうかもしれない。それこそ、自分がいない場合でも。

 本来であれば、ソフィアの隣を陣取り、いかに彼女が素晴らしいかということだけを世間に自慢するつもりでいた。しかし、どうやらこの巣窟を甘く見ていたらしい。気付けば食材を乗せたワゴンが三台は通れるほどの距離が開いてしまった。それもこれも、ソフィアがルイスを気遣ってということもわかっている。

 しかし、無理強いしてしまえば、彼女の殻が一層厚くなってしまいかねない。どのような手段が、最も彼女の本当の美しさを引き出せるのか。周囲の女の声を一方的に遮断していると、ソフィアに近づく影に気付く。その男は一度ルイスを見ては、含みのある顔を寄越した。

 ──まさか、あの男も出席していたとは。
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