虐げられていた偽りの姫は(自称底辺の)最強魔術師に甘やかされる
「君がルイスの噂の大事なパートナー?」

 ソフィアがいよいよカーテンの裏に隠れようとしていたとき、それを涼やかな声で引き止める男がいた。

 黒い髪を後ろにさっと結んだ男は、親しみやすい顔で言う。

「ルイスの兄、レンブラントです」
「……ルイス様の、お兄様」

 ソフィアはハッとして、すぐさまお辞儀をしようとした。しかし、どこまで頭を下げるべきなのかはわからなかった。相手によってお辞儀の角度が異なることは知っていた。

 しかし、目の前にいるこの人に対しての正しいお辞儀が見つけられないまま、結果的にかなり深いお辞儀をすることになった。それを見て、レンブラントは内心、はっと笑った。教養がない。家柄も大したことはないのだろう。ソフィアへの値踏みが済むと、ようやくにこやかな笑みを浮かべた。

「お会いできて光栄です。どうやらルイスが夢中になっていると伺いまして」
「そんな……とんでもありません。ルイス様には拾っていただきまして……」

 使用人として、という情報が必要かどうか判断することができず、曖昧なところで区切る形となった。その振舞いを見て、レンブラントは眉間に皺を寄せる。

「……あなたはご存知かもしれませんが、ルイスはとても人気があるのです」
「それは、はい……存じております」

 華やかな場の常識は知らない。しかし、ルイスが絶え間なく女性に声をかけられているのは、やはり特別な人だという証なのだろう。

 その事実は承知だと、どのように表現すればいいのか、言葉の重ね方はソフィアにはわからないままだ。それだけで、レンブラントはソフィアを敵だとみなす。家名を守るためには、可愛げがない弟を守るのも兄の務めだろう。責任感が人一倍強いことは自他共に認めていた。だからこそ、得体の知れない女をルイスに近づけさせるわけにはいかない。

 自分の家名が、いかに特別で、憧れられるものなのかは幼いころから叩き込まれてきた。たとえ異母兄弟といえども、ルイスは唯一、父である国王に認められている人間のひとりだ。性格は好まないが、それでもハエを散らしておくのは、無駄なことにはならないはずだ。

 レンブラントは改まって咳払いをし、居心地が悪そうにしているソフィアの意識をこちらに向けさせた。まるで釘を刺すように。

「……残念ながら、ルイスに近付く者の中には財産狙いの女性もいるんです。家柄が貧しいと、愛のない結婚を平気でする人間もおりますから。ルイスにはそのような人生を歩んでほしくはないのですよ」

 ソフィアもまた、恩人であるルイスには幸せな道を辿ってほしいと切に願っていた。
 使用人としてこき使われていた自分を救ってくれた人。おそらく人生で経験することもなかったパーティーにまで参加させてもらった今、ここで別れを告げられたとしても、それでいいと受け入れられる。しかしソフィアの考えがレンブラントに通じることはない。

 レンブラントはもうすでに、ソフィアを邪魔者だと認定しているのだから。自身の演説によりいっそう気合いが入る。

「そういった人間は相場が決まっているんです。教養も家柄も大したことがない、我々とは住む世界の人間だということが」

 そこまで言われて、ソフィアはようやく、レンブラントから蔑まれているということを知る。どうやら、ルイスを狙う女だと思われているらしい。そうではありません、と否定したい気持ちだが、かといってそれではレンブラントに歯向かう形にもなりかねないとも冷静になる。

 ここで考えるべきは、ルイスの評判を落とさないこと。それに尽きてしまう。

 だとすれば、ソフィアができることは決まっている。ただ静かに、レンブラントの話を聞いているということ。どれだけ感情を逆なでされようが、笑みを保ち、じっと耐えるだけ。

 感情的になれば終わりだということは目に見えていた。それに、どれだけ見下されようが、ソフィアはちっとも傷つかないでいられる自信がいた。
 それは、プライドがないことが原因だろう。チャップマン家で虫けら同然のように扱われていた日々に比べれば、レンブラントからの攻撃は可愛いものに思えた。そして、レンブラントから漂う空気感には見覚えがある。これは、ソフィア自身も抱いたことがあるものとよく似ているような気がした。

「何をしているんです」

 心に響かない声を聞いていると、耳馴染みのいい音がソフィアの鼓膜に触れた。ルイスはソフィアの肩を抱くと、まるで周囲に見せつけるかのように立った。レンブラントはルイスの登場が意外だったのか目を丸くしている。

「ずいぶんと向こうで楽しそうにしていたじゃないか。お前が俺の相手をしてくれないものだから、彼女と話に興じていただけさ」
「その女性たちを僕に押し付けていたのはどこの誰です。僕はずっと、こちらに戻りたいと思っていましたよ」
「こちらとは、俺の元という意味か?」
「いえ、ソフィアの隣です」

 ルイスは穏やかに笑うと、ソフィアに「行こう」と声をかける。

「今日は疲れただろう。早く部屋に戻るといい」
「い、いえ。私のことはどうかお気になさらず。それに部屋ならひとりでも戻れますから」

 レンブラントに向けていた言葉とはまるで別物だ。ルイスは出会ったときから、ソフィアを第一に考えてくれている。それが優しさだということは一日を通して理解していたつもりだが、それでもなぜここまで丁寧にもてなしてもらえるかは疑問だった。

 レンブラントが言うように、ルイスとは住む世界が違うというのに。
 その考えを見透かすルイスは、ふっと笑う。

「実を言うと、疲れたのは僕のほうなんだ。すまないが、付き添ってもらえないかな」

 力なく笑う、という演技がこれほどまで上手いものなのかとレンブラントは感心していた。おそらくマージもここにいれば、同じことを思っただろう。しかし相手はソフィアだ。当然のことながら顔を真っ青にさせ、申し訳ありませんと謝った。

「気付かずにお断りしてしまい……あの、すぐに戻りましょう。お部屋まで送り届けます」
「ありがとう。そうしてくれると助かるよ」

 会場をあとにしようとする二人をレンブラントが呼び止める。

「聡明な君たちはすでに知っているだろうが、未婚の男女が部屋に行き来するというのはかなりのご法度ではないか。まして、人の目があるところでは用心したほうがいい」
「問題ありません。部屋の前ぐらいの結界は張れますので」

 なんてことはない顔でルイスは振り返る。この男、優秀な魔術師を何百人と必要とする国全体の結界でさえ、ひとりでこなしてしまう実力を持っているというのに。たかだが数メートルの結界など容易いに決まっている。それこそ、父がルイスを認めた由縁のひとつでもある。ルイスは兄弟の中でも圧倒的に魔力が強かった。

 ただ権力には興味がないのか「偉い人間として生きるだけの人生ほどつまらないものはありません」と家族で集まった食事会で言い放ったのだ。レンブラントは呆れる。どうやらルイスは相当、ソフィアに惚れこんでいるらしい。
 しかしなぜ? レンブラントの見解では、どう見てもルイスが陶酔するような何かを持ち合わせているようには見えなかった。
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