悪女な私とは婚約破棄してください。なのに、冷徹社長の猛愛からは逃げられない
 そこではたと、志桜は気がつく。

(忘れてた。もうひとつ用件があったわ)

 志桜の表情の変化を察したのだろう。楓が「なにか?」と尋ねてきた。志桜は肩にかけていたブラウンの革のトートバッグから、紺色の小箱を取り出し彼に差し出す。

「これをお返しさせてください」
「……俺が贈ったプレゼントか?」
「はい」

 志桜がうなずくと、彼はややムッとしたように口角をさげた。

(こんなにわかりやすく表情が変化するの、初めて見たわ)

「気に入らなかったか?」
「いえ。そうではなく、このような高価な品は受け取れません」

 赤の他人に戻るかもしれないのだから。
 志桜が言外に匂わせたメッセージは彼に届いたようだ。楓はクッと苦笑いを落とした。

「そういう意味なら、まだ君が持っておくべきだろう」
「え?」

 わずかに顔をあげると、彼と視線がぶつかる。凍った瞳の奥に、ほんのわずか熱を感じる。そんなふうに思えたのは気のせいだろうか。

「俺の答えは保留中。つまり、君は現時点では俺の婚約者だ」 

 それから一週間。九月も下旬に入り、永遠に続くかに思われた残暑もようやく落ち着いてきた。降り注ぐ陽光はずいぶんと優しくなったし、朝晩の風はひやりとして秋の訪れを感じさせる。
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