蒼穹の覇者は、激愛で契約妻と秘密の我が子を逃がさない
 その週の金曜日、双子を保育園に預けた玲奈は、(こずえ)に頼まれた買い出しを済ませてバウムクローネに戻って来た。
 ちなみに双子の送迎に使っている車は、送り迎えのついでに買い出しをすることを条件にバウムクローネのものを借りている。

「お客さんの車かな?」

 運転席で首をかしげる玲奈の視線の先には、駐車場の停止線を無視して止められたセダンがある。
 今は十時過ぎで、チェックアウトも終わり、新しい宿泊客を受け入れるために準備を始める時間だ。
 そのため連泊のお客さんの車が一台止まっているだけなので、誰かの迷惑になっているわけではないが、後で来る人のことを全く考えていない止め方だ。

「梢さん、気付いてないのかな?」

 普段なら客を出むかえた際に、車の止め方がおかしければ声を掛けているはず。
 でもよく考えたら、チェックインは午後からなので、なにか用事があって一時的に止めただけかもしれない。
 裏の従業員用の駐車場に車を止めて、裏口からバウムクローネに入ると、フロントの方で梢が誰かと話している気配がした。
 やはり来客がいるらしい。
 荷物を置き、フロントの梢に声をかけようとした玲奈は、そちらから聞こえてくる声に息を呑んだ。

幸平(こうへい)さん、何度も言っていますが、ここに玲奈はいません。それにこんな突然、来られても迷惑です」

(お父さん!)

 まさかそんなこと……そう思いつつ、玲奈が物陰に隠れてロビーを伺うと、幸平と花乃(かの)が梢と話す姿が見えた。

「嘘をつくな。探偵を雇って、下調べはしてあるんだ。玲奈はふたりも子供を産んでるそうじゃないか」

「そうよ。それに玲奈が頼れるとこなんて、他にないじゃない」

 探偵を雇った自慢げに話し、嘘をつくなと梢をなじる両親の異常さに目眩がする。

(これ以上、梢さんに迷惑をかけられない)

「お父さん、お母さん、今更なに?」

 玲奈は覚悟を決めて、物陰から顔を出した。
 途端に両親がこちらへと歩み寄る。
 そして早足に近付いてきた勢いそのままに、とんでもない言葉を口にした。

「玲奈、お前、ふたりも子供を産んだそうだな。男の子の方をよこせ、本家の養子に出せ」

「――!」

 あまりのことに言葉が出ない。
 両親の性格を考えれば、ただ娘や孫の顔が見たいから自分たちを探していたとは、玲奈も考えてなかった。
 だけど数年ぶりに、勘当した娘に突会いに来るなり、そんなことを言うなんて……。

「なにを……言ってるの?」

 どうにか声を絞り出す玲奈に、幸平が言う。

「お前が家出した後で、ついに瑠依奈(るいな)さんが離婚したんだよ。それでその後も、何人かと噂はあったんだが、結局うまくいかなかったんだろうな。急に、玲奈の子を養子にしたいと言い出したんだ」

「瑠依奈さんも、千鶴(ちずる)さんも、瑠依奈さんの子じゃ、玲奈の子に勝てないと思ったんじゃない? あの人たちには色々思うところはあるけど、ゆくゆくはウチの孫が本家筋になるなら、悪い話じゃないでしょ」

 花乃が今にも小躍りしそうな調子で言う。

「ごめん……なに言ってるか、わかんない」

 玲奈は、そう声を絞り出すのがやっとだった。
 両親の発言は、もちろん日本語として玲奈の耳に届いている。でもその言葉の意味が、ちっとも頭に入ってこない。
 それなのにふたりは、「支度金もくれると言うし、ひとり残るんだから、いいじゃない」なんて言う。

「幸平さんも花乃さんも、そんな身勝手なことばかりっ! 玲奈がどんな思いで、あの双子たちを育てているかわかってるのっ! 家族の協力得られず、女ひとりで子供を育てるのが、どれだけ大変だったか」

 梢が両親に食ってかかる。

「だから、その苦労をひとり分減らしてやろうと言ってるんじゃないか」

「そうよ。片親で貧しい思いをして育つより、経済力のある本家の養子になった方が子供だって幸せに決まってるじゃない」

「それに弘一郎さんも、子供を養子に出すなら、ウチの会社に便宜を図ってくれると言っているんだ。お前が出て行った後、ウチがそのせいで、どれだけ迷惑したかわかってるのか?」

「そうよ。娘として、その償いをするのはとうぜんでしょ」

 両親が口々に、腕を掴んで鬼の形相で玲奈を言い募る。
 子供の頃から、親に萎縮して育った玲奈にとって、それは拷問だ。
 実家との縁が切れたことで、忘れたつもりでいた様々な記憶が、めまぐるしく脳裏を駆けていき視界が揺らぐ。

「ちょっと待って……言っていること、おかしいから」

 梢や周りの人がサポートしてくれたおかげで、双子は寂しい思いをすることなく、のびのびと育っている。
 お給料だってちゃんともらっていて、貧しいと言うことはない。
 ふたりがどんなふうに育っているか、知りもしないで、勝手に不幸だと決めつけないでほしい。
 それに父の会社の業績なんて、玲奈にはなんの関係もない話だ。
 それになにより、どんな形であれ、自分の孫にあたる双子の名前を、どうしてこの人たちは呼んでくれないのだろう。
 そんな疑問が、カメラのフラッシュが瞬くように、次から次へと浮かんでは消える。

「とにかく黙って、男の子の方をよこせ」

 そんな幸平の言葉で、この人たちは、孫の名前さえ興味がないのだと気がついた。
 両親にとって玲奈が、自分たちの虚栄心を満たすための道具でしかなかったのと同じように、玲奈の生んだふたりの孫も、この人たちにとっては、本家に取り入る道具でしかないのだ。

(そんな人たちに、あの子たちを渡せるわけがないっ!)

「こ、子供たちは渡しません。か……帰ってっ」

「なにをっ!」

 カッと、怒りに目を剥いた幸平が、右手を大きく振りかざす。
 打たれることを覚悟した玲奈が、強く目を閉じて身構えた時、カランコロンと、のどかなドアベルが鳴り、正面玄関が開いた。

「梢さん、お客さんが変な車の止め方してるよ」

 呑気な男性の声に目を開けると、野菜がのぞく箱を抱えた梅田(うめだ)の姿が見えた。

「梅田君っ!」

 助かったとばかりに、梢が彼の名前を呼ぶのと、梅田が手にしていた箱を落として床を蹴るのは同時だった。

「痛いっ! お前なんだっ!」

 次の瞬間には、幸平は、振り上げていた腕を梅田に掴まれていた。
 かなり強く握られているのか、痛みに苦痛の声を上げる幸平のもう一方の手も玲奈から離れていく。
 突き飛ばされるようにして幸平から解放された玲奈は、バランスを崩して体をグラつかせる。
 近くにあった棚に捕まって、どうにか体勢を整えたつもりだったのだけど、視界がぐらりと揺れて立っていられない。

「玲奈ちゃんっ」

白石(しらいし)さん」

 揺れる視界の中で、慌てて駆け寄ろうとする梢たちの顔と、客室へと繋がる階段の上から、清掃のスタッフが、心配げにこちらを窺っているのが見えた。
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