蒼穹の覇者は、激愛で契約妻と秘密の我が子を逃がさない
 ディナータイムが始まると、玲奈は後を任せて子供たちを連れて住居スペースに引き上げた。
 夕食を済ませてふたりをお風呂に入れて寝かせる。
 そのいつものルーティンをこなしてリビングに戻ると、ビールを呑む梢の姿があった。
 普段なら、晩酌をする梢と業務連絡を兼ねた雑談を楽しむのだけれど、今日はなにかを話す気分になれない。
 それに、一度、ゆっくりひとりで考える時間もほしい。

「子供たちはよく寝ているので、少し散歩してきます」

 梢にそう声をかけて、玲奈は外に出た。
 季節としてはもう春だけど、夜になると空気が冷えるので、薄手のパーカーを羽織って外に出た玲奈は、そのまま昨日双子と散歩した遊歩道に向かって歩いていく。
 ボンヤリ考え事をしながら外灯に照らされた道を歩いていると、道の先に人が立っているのが見えた。
 玲奈がその人の存在に気付いたのと同じタイミングで、相手も玲奈の存在に気付いたらしい。

「あっ」

 玲奈がそう声を漏らした時には、道の先に立つ人がこちらに駆け出していた。

「こんな時刻に、女性がひとり歩きするなんてなにを考えているんだ」

 驚くような速さで駆けてきた悠眞は、駆け寄ってきた勢いそのままに、玲奈の腕を掴む。
 早口に話す彼の声は、怒っていると言うより、心配のあまり切羽詰まっているといった感じだ。

「こ、こんな時刻って、まだ九時過ぎよ……」

「もう九時過ぎだ。危ないだろ」

 バウムクローネの周辺は緑が多いが、観光地が近いので道は整備されていて明るいし、ところどころ店も点在している。
 三年近く暮らして土地勘もあるので、へたに繁華街をひとり歩きするより、よっぽど安全だ。
 そんな思いから、つい反論したくなる。

「悠眞さんだって、ひとりで出歩いているじゃない」

「俺はいいんだよ」

 悠眞がムッとして言い返すが、その直後、フッと柔らかく笑う。
 どうかしたのかと思っていると、悠眞がその理由を教えてくれた。

「玲奈が普通に俺のこと、名前で呼んでくれているから。しかも、反論するようになっているし」

「う、確かに……」

 悠眞とは他人行儀に接すると決めていたはずなのに、驚いたせいでそのことが、頭から抜け落ちていた。

「で、どこに行くつもりだったんだ? コンビニか?」

 悠眞は、玲奈の肩に触れさせていた手を離す。

「え?」

「大きな声を出して悪かった。付き合うよ」

「そんな、いいですよ。ただなんとなく、散歩していただけだし」

 玲奈は顔の前で手をパタパタさせた。

「そうか。それなら、俺と一緒だ」

 悠眞はそう言うと、返答を待たずに、玲奈の進行方向に体を向ける。

「俺も、桜を見たくて歩いていただけだから、一緒に歩いても?」

 そう言われてしまうと、うまい断り文句も思い浮かばない。
 玲奈は仕方ないと、悠眞と並んで歩き出す。
 そうやってポツリポツリと外灯が照らす歩道を、悠眞と肩を並べて歩いていると、不思議な気分になる。

(なんだろう。落ち着くのに、ソワソワして、不思議な気分)

 玲奈は、隣を歩く彼をチラリと見上げた。
 今はパイロットではないのに、三年経った今も、当時と変わらない均衡の取れた体つきをしている。

「今も、朝は走っているんですか?」

 ずっと黙って歩き続けるのもどうかと思い、そう声をかけると、悠眞が微かに驚きの表情を見せた。

「よくわかったな」

「昔と変わらないから」

「そうか? 昔からの知り合いには、随分変わったと言われることが多いんだがな」

 悠眞は納得のいかない顔をするけど、多分それは、彼の纏う雰囲気のことをいっているのだ。
 子供の頃からの夢を叶えてパイロットになった彼は、どこか、少年がそのまま大人になったような雰囲気が残っていた。
 だけど今の彼は、経営者としての風格とでもいうのだろうか、凜と引き締まって、近寄りがたい雰囲気がある。
 それでいて、目が離せない独特の色気のようなものを醸し出しているので困る。

(今日だって、双子を取っかかりにして、悠眞さんに話しかけている人がいたもんね)

 夕食時のことを思い出す。
 ディナーの支度が調い、ロビーでたむろしていた人たちを呼びに行くと、大学生と想われる女性のグループが悠眞に話しかけていた。
 双子を悠眞の子供なのかとか、旅行なのかとか、このペンションにはよく泊まるのかなどあれこれ話かけていた。
 だけどすっかり悠眞のことを気に入っている鈴桜が、悠眞におままごとの相手をさせることで、その会話をことごとく邪魔していたようだ。
 女子大生グループは、悠眞の手前ニコニコしつつも、子供相手に……と思うくらい、不満げな眼差しを鈴桜に向けていたのは、それだけ悠眞が魅力的だったからだろう。
 優聖はといえば、相変わらず悠眞のことを警戒していて、彼にうれしそうに話しかける鈴桜の服の袖を引いてお喋りを阻止しようとしていた。
 玲奈がその時のことを思い出していると、悠眞も子供たちのことを思いだしていたのか、思いがけない質問を投げかけてくる。

「そういえば、俺が〝ちゅーぱーヒーロー〟って、どういう意味?」

「え――っ」

 不意打ちの質問に、玲奈は肩を跳ねさせ、弾かれたように悠眞を見た。

「あ、えっと……あの、だれ……が、そんなこと」

 アワアワと挙動不審になる玲奈を見て、悠眞は悪戯成功といった感じで楽しげに肩を揺らす。

「鈴桜ちゃん。玲奈に俺のことをそう聞いたって」

「鈴桜ったら」

 玲奈は自分の額をペチンと叩いて唸る。
 鈴桜が噓をついているわけじゃないだけに恥ずかしい。

「そんなふうに説明してくれて、ありがとう。俺なんて、最低の男だとなじられても仕方ないのに」

 並んで歩く悠眞が言う。

「私は、本当のことを言っただけです。……悠眞さんの存在が、ずっと私を支えてくれていました」

 悠眞と出会って、玲奈は自分の人生を切り開く強さを学んだ。
 そんな彼と過ごした日々の思い出があったからこそ、玲奈は双子の子育てを頑張ることができたのだ。
 それに一緒にいなくても、悠眞もどこかで頑張っているとわかっていた。
 そんな彼を、悪く言えるはずがない。
 玲奈の言葉に、悠眞が「俺もだよ」と、優しい声で言う。

「え?」

 玲奈は足を止めて悠眞を見上げた。
 彼の肩越しに、桜の花びらが気紛れに吹いた風に舞うのが見える。
 その桜に気を取られていると、悠眞が左手で玲奈の右手を取った。

「子供のことは知らなかったけど、それでもいつか玲奈を迎えに行くと決めていた。俺は、玲奈が、忙しい俺とのすれ違いや、海外暮らしが不安といった理由で実家に帰ったとばかり思っていたんだ」

「そんな……」

 悠眞がそんなふうに思っていたなんて、考えてもいなかった。
 でも玲奈の手を取る彼の左手薬指には、今日も指輪の輝きがある。
 だから今さら、彼にそれを訂正しても意味はない。
 そんな玲奈の胸の内を見透かしたように、悠眞は、なにも言わなくていいと軽く首を振って言葉を続ける。

「玲奈を迎えにいく。その思いが原動力となって、驚くほどの短期間で鷹翔グループの業績回復にこぎつけた。全ては玲奈のおかげだ」

 そう話ながら、悠眞は右手でジャケットのポケットからなにか小さな箱を取り出した。

「これは?」

 そう問い掛ける玲奈の質問に答えることなく、悠眞は自分の両手で玲奈の右手を包み込むようになにかを握らせた。
 見るとそれは、表が布張りの小さな箱だった。

「リングケース?」

 手に握らせたのは、指輪やイヤリングといったアクセサリーを入れるのに使うケースである。
 不思議そうな表情を見せる玲奈に、悠眞は目の動きで蓋を開けるように促す。
 小さく頷いてリングケースを開けてみると、そこには指輪が納められていた。
 鈍く銀色に輝く指輪は、シンプルなデザインをしていて、今悠眞が嵌めている指輪と同じデザインだとわかる。

「これって」

「三年前、ふたりで選んだ指輪だ。いつか玲奈に渡したいと思っていた」

 悠眞のその言葉に、三年前、こんな未来が待っているなんて思わずふたりで結婚式の準備を進めていた。
 そんな中で、結婚指輪も選んでいたことを思い出す。
 まさか彼が、それを今も残しているなんて思ってもいなかった。

「じゃあ、悠眞さんの左手のそれは……?」

 玲奈の問いに悠眞は「俺の気持ちだ」と、答えた。

「その指輪は、玲奈に持っていてほしい」

 手を重ね合わせたまま悠眞が言う。

「でも……私なんかと結婚したら、家族が迷惑をかけてしまいます」

 自分の手を包む悠眞の温もりに、固く閉ざしていた心がほぐれて、ホロリと本音が零れてしまう。
 玲奈の言葉に、悠眞の手の力が強まる。

「俺を見くびるな。最近では蒼穹の覇者なんて、妙な二つ名までつけられている男なんだぞ」

「二つ名って……」

 おどけた彼の口調に、そんな場面ではないのに、つい笑ってしまう。
 クスクス笑う玲奈を見て、悠眞も表情を和ませる。

「とにかく、俺には愛する人を守るだけの力がある。それに、近く玲奈の親族は、玲奈に構っている暇はなくなると保証する」

 悠眞が強気な表情で言う。

「え、それはどういう意味ですか?」

「俺は、玲奈や子供たちのためなら、どんなことでもするという意味だ」

 悠眞は真剣な表情で言う。

「悠眞さん、どうしてそこまで?」

「君の全てを愛しているからだ」

 そう言って悠眞は、玲奈の手を包む自分の手に力を込めて続ける。

「渡したからといって、なにかを気負う必要はない。この先の関係も、指輪をどうするかも、全ては玲奈の判断に任せる。ただ今もこれからも、俺の心は玲奈のものだとわかっていてほしい」

 そう言って手元に視線を落とす彼の姿は、静かに祈っているようだ。
 本音の部分では今も悠眞を想っている玲奈が、拒めるはずがない。
 そんな心の動きは、相手にも伝わっているのだろう。
 悠眞は玲奈の手にリングケースを握らせたまま、そっと手を離して歩き出す。
 しかたなく、玲奈はそれを羽織っていたパーカーのポケットにしまって彼の背中を追いかけた。
 そして遠回りをしてバウムクローネまで並んで歩きながら、玲奈は子供たちの日常を、悠眞は彼女と離れてからの日々をどう過ごしていたかを話した。
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