蒼穹の覇者は、激愛で契約妻と秘密の我が子を逃がさない
◇◇◇
あまりに居たたまれず瑠依奈の式を途中で抜け出してきた玲奈は、出された紅茶を前に、もの言いたげな眼差しを向かいに座る男性に向けた。
職業はパイロットだと話した彼を引き止め、髪についた桜の花びらを取ってあげたのだけど、そうしたら、何故かその彼にお茶に誘われてしまった。
それでロビー近くのラウンジに場所を移して、二人でお茶を飲んでいる。
正しくは、玲奈は紅茶、彼はコーヒーを頼んだ。
「あの、式に行かなくていいのでしょうか?」
色々あって思考がうまく働かず、つい誘いに乗ってしまったが、注文した飲み物が運ばれてきて一息つくと、それが気になる。
「君は、式に戻りたいのか?」
質問に質問で返され、返答に詰まる。
早く披露宴にった方がいいだろう。今ごろ両親は、玲奈がいないことに気付いて怒っているはずだ。
でも両親の顔を思い浮かべるだけで、体が鉛のように重くなって、身動きが取れなくなる。
「今さらだが俺の名前は、鷹條悠眞だ」
彼にそう言われて、玲奈も自己紹介をしていなかったことに気付いた。
「わ、私は、白石玲奈と言います。仕事は……む、無職です」
結局白石運輸への復職は叶わず、縁談も破談になった今、玲奈にはこれといった肩書きはない。
そのことが情けなくて、思わず小さな声で「すみません」と、付け足す。
「事情があってのことだろ」
向かいに座る彼、もとい悠眞が言う。
「え?」
コーヒーを一口飲んでカップをソーサーに戻した悠眞は、不機嫌そうな眼差しを玲奈にむける。
「前々から、今日の結婚式に関して不快な噂は耳にしていた。さっきの君の言葉で、根も葉もない噂ではなかったのだと理解した」
その言葉に、玲奈は苦く笑う。
表向き、招待状と新婦の名前が違っているのは、式場のミスプリントによるものだということになっているが、そんなの噓だと誰もがわかっている。
それでも表向きは納得しているフリをして、陰で好き勝手に噂を楽しんでいるのだ。
玲奈の耳に届く範囲でも、かなり口さがないものが含まれているので、彼も変な噂を色々耳にしているのだろう。
そう思うと、顔に熱が集中して、彼と向き合っていることが恥ずかしくなる。
「すみません」
責められたわけでもないのに、自分の存在が恥ずかしくて、つい謝罪の言葉が口をつく。
玲奈が俯き、膝に載せた手を強く握りしめていると、悠眞は、膝に肘を預けて手を組み合わせて前屈みになる。
「俺は、部外者から聞いた話だけで状況を判断するつもりはない。だから君の口から、ことの真相を話してもらえないか?」
そう言う彼は、どこか冷めた目をしていて、噂話に興味があるようには見えない。
それなのになぜ、真相を知りたいのかという疑問は湧くが、どのみち玲奈が捨てられた花嫁であることは周知の事実なのだ。
事実を隠すことに意味はないし、部外者が面白おかしく脚色した噂話を彼が信じてしまうくらいなら、自分の口で真実を語りたい。
「わかりました。なるべくありのままにお話ししますけど、どうしても私の主観が入ってしまうことはご理解ください」
こんなことになってしまったのは、親に反発できない自分にも問題がある。
だから玲奈は、自分が悲劇のヒロインを気取るつもりはない。それでも傷付いているのも事実で、そのせいで事実と異なる話をしてしまうかもしれない。
玲奈のその前置に、悠眞はフッと息を吐く。
「まず最初にそう言えるだけでも、君の発言は信用に値する」
まだ知り合いと呼べる仲でもないのに、悠眞は玲奈の人柄を信じて耳を傾けてくれる。
ここしばらく、一方的に家族になじられ、陰で好き勝手に笑い者にされてきた玲奈にとって、それがどれほど嬉しいことか。
目頭が熱くなるのを堪えながら、玲奈はこれまでの経緯を語った。
彼に瑠依奈親子がなぜそんな仕打ちをしたのか理解してもらうために、これまでの両家の確執についても説明をしておく。
「……そういうわけで破談にはなりましたが、そのこと自体にはホッとしているんです」
玲奈は、一連の出来事をそう締め括った。
それは決して強がりなどではなく、玲奈の正直な思いだ。
両親に役立たずと叱責されるのは辛いが、その反面、よく知りもしない男性と結婚せずに済んで良かったと心から思っている。
悠眞は話の途中で一度だけ、「こんな状況になってもどうして家を出ないのか?」と、質問してきた。それにも正直に、両親にこれまでの給料を管理されていて自由になるお金がないことも伝えた。
「なるほど」
話を聞き終えた悠眞は、あいづちを打ったきり、深く考え込む。
「あの……」
沈黙に耐えかねた玲奈が、遠慮がちに声をかけると、彼がこちらへと視線を向ける。
「では、君の当面の悩みは、仕事と今後の居場所の確保といったところか?」
「はい」
「相手への未練や、なにか弁済を求めたいとかは?」
最初の質問に頷いた玲奈は、次の質問には首をよこに振る。
玲奈としては望んでいた結婚でもないので、瑠依奈に花婿を奪われたことには、なんの感情も抱いていない。
それは花婿に対しても同じだ。
新たに家族になるふたりが、幸せでいられるなら、それでいいと本気で思っている。
だから、今の玲奈に必要なのは、新しい仕事と居場所の確保だけだ。
玲奈の返事に、悠眞は顎を摩った。
なにかを考えこむ彼の表情は、どこか不機嫌な印象があり、あまり男性と対峙することになれていない玲奈を不安にさせる。
「あの、私、なにか……」
自分のなにかが、彼を不快なにさせているのでは……そう思って玲奈が口を開きかけたとき、悠眞が真顔でとんでもないことを言う。
「それなら、ビジネスとして、俺と結婚してみないか?」
「はい?」
聞き間違いだろうか?
常識的に考えてかなりありえない提案に、玲奈が戸惑っていると、悠眞が、真顔で同じ言葉をくり返す。
「ビジネスとして、俺と結婚してみないかと提案している」
「あの……そういった冗談は、困ります」
出会ってすぐではあるが、なんとなく彼がそういった悪趣味な冗談をいうタイプには見えないが、本気で提案しているとも思えない。
それなのに悠眞は、真顔で「本気だ」と、くり返す。
だけど玲奈としては、到底鵜呑みにすることはできない。
「実はパイロットになる夢を叶える際、親にある条件を出されたんだ」
玲奈の警戒を解くように、悠眞は表情を少し緩めて言う。
「条件?」
「ああ。仕事は好きにしていいが、その代わり三十代半ばには結婚するよう約束させられている」
「それは、政略結婚をしろとか、そういう意味でしょうか?」
自分の人生に重ね合わせて玲奈が言うと、悠眞が苦笑する。
「そんな壮大な話じゃないさ。ただ俺の性格上、好きなことに没頭すると他のことが疎かになるから、親としては、自由に生きるあまり、帰るべき場所を見失わないよう家庭を持てと言いたいらしい」
「そんな理由で?」
(せっかく夢を叶えたのだから、本人の好きにさせてあげればいいのに)
そうは思うけど〝本家に対抗して……〟なんて理由で、娘の気持ちを無視して縁談を進めてしまう玲奈の両親に比べればずっとまともな理由だ。
「まあ両親の本音としては、女嫌いの俺にそんな条件を出せば、パイロットになる夢を諦めて家業を手伝ってくれると期待していたのかもしれないがな」
その意見に、玲奈はなるほどと納得する。
彼の家の家業がなにかは知らないが、その方が納得がいく。
理解を示す玲奈に、悠眞が強気な表情を見せる。
「俺がそれくらいのことで、夢を諦めるわけがないのにな」
迷いのないその表情は力強く、言葉で語る以上の説得力がある。
パイロットになるには、かなりの努力が必要なはず。きっと彼は、こんな調子で、幾つもの試練を乗り越えてきたのだろう。
彼の生き方を清々しく思っていると、悠眞が話を本題に戻す。
「そんなわけで、家族の希望を無視してパイロットになった手前、そろそろ結婚すべきとは考えていたんだ」
「……その相手に、私を?」
悠眞は頷いて右手を差し出す。
「そうだ。行く場所がないなら、とりあえず一年という期間限定で、俺とお試し婚をしてみないか? それで気が向けば、そのまま俺と夫婦になるというのはどうだ? 対外的に俺の妻として振る舞ってくれれば、それ以上の関係を求める気はない。寝室は別でかまわん」
ビジネスとして結婚を提案する悠眞は、そのままの勢いで、テンポよく結婚の条件を並べていく。
「夫として生活費は出す。俺は仕事柄留守がちだから、君もそれほどストレスを感じることもないだろう」
確かに、仕事も行くあてもない玲奈にとって、それは悪くない条件だ。
とはえ、初対面の男性にそんな提案さえても対応に困る。
「鷹條さん、恋人とかは?」
まずはそこからと、玲奈は聞く。
彼は見るからのイケメンな上に、パイロットという職業も華やかだ。きっと女性から引く手あまただろうから、玲奈なんかにそんなことを頼む必要などないのではないか。
そう思って投げかけた玲奈の言葉に、悠眞は不愉快といわんばかりに眉根を寄せる。
「恋愛経験がないとは言わないが、没頭できる仕事があるのに、そんな面倒なもの必要ない。それに特定の相手がいるなら、初対面の女性にこんな提案するはずないだろ」
「なるほど、ごもっともです。でもだからって、突然結婚と言われても……」
戸惑う玲奈に、悠眞が、さらなる提案をする。
「それなら、まずは一年、結婚を前提としたカップルとして、俺と暮らしてみないか?」
「はい?」
「それで契約解消になっても、結婚に向けての努力はしたのだから、両親もとりあえずは納得してくれるだろう。その一年間で、君は、自立して生きていくのに必要な準備をすればいい」
悠眞はそう結論付ける。
晴れ晴れとした表情を見るに、彼自身、本気で結婚したいのではなく、とりあえず結婚に向けて努力したというパフォーマンスを家族に示しておきたいだけなのだろう。
(つまり、鷹條さんが本気で希望しているのは、期間限定の同居ということだ)
だとしたらそれは、玲奈にとって悪くない提案だ。
初対面の男性との結婚なんて考えられないけど、住み込みの仕事を見つけたと割り切って、一年の期間限定で彼と暮らすのであれば悪くない。
今の玲奈に必要なのは、当面の間の住まいと仕事なのだから。
でもそうなると、生真面目な玲奈としては、自分ばかり得してしまうのではないかという罪悪感が胸に湧く。
悠眞が男性としての魅力に溢れているので、なおさらだ。
「私……なんかが、その相手でいいんですか?」
彼が望めば、その条件で彼と一緒に暮らしたいと手をあげる女性は、いくらでもいるだろう。
おずおずと尋ねる氏らに、悠眞が「そんな君では困る」と、ピシャリと返す。
「えっ!」
氏ら自身、自分なんかが……という思いはあったが、提案者である彼の手のひら返しと言える対応に、玲奈は目を丸くする。
そんな玲奈の素直な反応に、悠眞は柔らかく笑って言う。
「お試しでも俺の妻を名乗るなら、間違っても『私なんか』なんて言葉は、口にしてもらいたくない。もっと胸を張って生きてくれ」
その言葉に、ハッとする。
これまで自分にそんな言葉をかけてくれる人なんていなかった。
それだけで十分だ。
(前に踏み出す強さがほしい)
玲奈だって、自分の人生がこのままでいいとは思っていない。
ただ幼い頃から両親に抑圧されて育ったことで、自我の出し方がわからなくなり、身動きできずにいたのだ。
今の悠眞の言葉に、背中を押してもらえたような気がした。
玲奈は、膝に載せていた手を強く握りしめて、声を絞り出す。
「い、今すぐに、完璧に気持ちを切り替えるのは無理かもしれません。でも、ちゃんと、鷹條さんの妻として胸を張れるよう努力します。……後、鷹條さんが、私を契約の相手に選んだことを後悔させないよう務めます」
玲奈の言葉に、悠眞が思わずといった感じで吹き出す。
「君はつくづく正直だな」
「だって……」
こういう時は、もっと強く出た方がいいのかもしれないが、噓のつけない性格なのだからしかたない。
玲奈が自分の不器用さに赤面していると、悠眞が言う。
「そういう性格だから、君となら契約とはいえ結婚を考えてもいいと思えたんだ」
「え?」
思いがけない言葉に驚く玲奈に、悠眞は強気な表情を見せる。
「女嫌いの俺にそう言わせたんだから、君は自分にもっと自信を持て」
「はい」
玲奈がそう答えた時、ラウンジの入り口が騒がしくなった。
「? ……っ!」
気になってそちらに視線を向けた玲奈は、息を呑んで身をこわばらせる。
「いたっ!」
「お前、俺たちにだけ恥をかかせて、こんなところでなにをしている」
険しい表情の花乃と幸平が、声を荒らげながら玲奈のもとへと駆けよってくる。
怒りの感情を剥き出しにしている両親に、玲奈が身を硬くすると、悠眞が立ち上がり彼女の前に立った。
「な、なんだっ」
幸平は、突然自分と玲奈の間に入ってきた長身な悠眞に驚き、腰を低くする。もとから男性にしては小柄な方なので、そうすると、ふたりの身長差がかなり際立つ。
「おい、玲奈っ! お前はこんなところでなにをしている」
悠眞には勝てないと本能で察したのだろう。
幸平は、悠眞と目を合わせることなく、体の位置を少しずらして玲奈を怒鳴りつけた。
その後ろに立つ花乃も、玲奈を批難する。
「そうよ。あなたのせいで、私たちが屈辱を受けているというのに、お前ひとりこんな場所で、のうのうと……。この役立たずっ!」
「ご、ごめんなさい」
玲奈が条件反射のように謝ると、ふたりがさらに勢いづこうとした。
「親の期待にも応えられずに……」
だけど悠眞の鋭い声が、続く言葉を遮る。
「もういい。それ以上話すな」
「な……」
幸平がひるむと、悠眞は玲奈へと向き直り、彼女の手を取って立ち上がらせる。
「あの、鷹條さん」
「親子だからと言って、不当に傷付けてくる人の言葉を聞く必要はない」
そう言うと、悠眞は玲奈の手を引いて歩き出す。
「な、お前は、なんだ……」
戸惑いの声を上げる幸平を、悠眞は鋭い視線で黙らせる。
「俺は、彼女のパートナーだ」
相手が玲奈の両親であることを承知で、悠眞は名乗る価値もないと言いたげに短く説明する。
「は? パートナー?」
幸平と花乃は、玲奈に視線で説明を求めてくるが、緊張で声が出てこない。
「……っ」
唇を震わせる玲奈は、悠眞に寄り添うことで自分の意思表示をした。そのやり取りに、花乃が金切り声を上げる。
「なに言ってるの、そんなどこの誰とも知らない男と結婚なんてっ! 千鶴さんたちに、なんて言われるかっ!」
「これ以上、私たちに恥をかかせるなんて許さんぞ」
幸平も加勢する。
騒々しい二人の声に周囲の視線が集まると、両親は自分たちに好奇の眼差しを向けられているのも玲奈が悪いと言いたげに睨む。
これまでの玲奈なら、両親にこれだけきつく言われれば、黙って従うことしかでになかった。
だけど今は、悠眞の言葉を信じて自分を誇りたい。
「お父さんとお母さんになんて言われても、私はこの人と結婚します」
声を震わせながらも断言すると、両親の顔が朱に染まる。
「な、なにを……。それなら勘当だ。二度と私たちの前に顔を出すなっ!」
激高する幸平の声が、店内に響いた。
その言葉が、ただの売り言葉に買い言葉なのか、言いなりにならない娘など不要と本気で思っているのかはわからない。
でも親に勘当を言い渡されても、玲奈の心はショックを受けるどころか開放感を覚えていた。
それが隣にいる悠眞にも伝わったのだろう。玲奈の肩にポンッと手を乗せて「行こう」と、促す。
「今までありがとうございました」
玲奈は両親に一度頭を下げると、悠眞と一緒にその場を離れた。
あまりに居たたまれず瑠依奈の式を途中で抜け出してきた玲奈は、出された紅茶を前に、もの言いたげな眼差しを向かいに座る男性に向けた。
職業はパイロットだと話した彼を引き止め、髪についた桜の花びらを取ってあげたのだけど、そうしたら、何故かその彼にお茶に誘われてしまった。
それでロビー近くのラウンジに場所を移して、二人でお茶を飲んでいる。
正しくは、玲奈は紅茶、彼はコーヒーを頼んだ。
「あの、式に行かなくていいのでしょうか?」
色々あって思考がうまく働かず、つい誘いに乗ってしまったが、注文した飲み物が運ばれてきて一息つくと、それが気になる。
「君は、式に戻りたいのか?」
質問に質問で返され、返答に詰まる。
早く披露宴にった方がいいだろう。今ごろ両親は、玲奈がいないことに気付いて怒っているはずだ。
でも両親の顔を思い浮かべるだけで、体が鉛のように重くなって、身動きが取れなくなる。
「今さらだが俺の名前は、鷹條悠眞だ」
彼にそう言われて、玲奈も自己紹介をしていなかったことに気付いた。
「わ、私は、白石玲奈と言います。仕事は……む、無職です」
結局白石運輸への復職は叶わず、縁談も破談になった今、玲奈にはこれといった肩書きはない。
そのことが情けなくて、思わず小さな声で「すみません」と、付け足す。
「事情があってのことだろ」
向かいに座る彼、もとい悠眞が言う。
「え?」
コーヒーを一口飲んでカップをソーサーに戻した悠眞は、不機嫌そうな眼差しを玲奈にむける。
「前々から、今日の結婚式に関して不快な噂は耳にしていた。さっきの君の言葉で、根も葉もない噂ではなかったのだと理解した」
その言葉に、玲奈は苦く笑う。
表向き、招待状と新婦の名前が違っているのは、式場のミスプリントによるものだということになっているが、そんなの噓だと誰もがわかっている。
それでも表向きは納得しているフリをして、陰で好き勝手に噂を楽しんでいるのだ。
玲奈の耳に届く範囲でも、かなり口さがないものが含まれているので、彼も変な噂を色々耳にしているのだろう。
そう思うと、顔に熱が集中して、彼と向き合っていることが恥ずかしくなる。
「すみません」
責められたわけでもないのに、自分の存在が恥ずかしくて、つい謝罪の言葉が口をつく。
玲奈が俯き、膝に載せた手を強く握りしめていると、悠眞は、膝に肘を預けて手を組み合わせて前屈みになる。
「俺は、部外者から聞いた話だけで状況を判断するつもりはない。だから君の口から、ことの真相を話してもらえないか?」
そう言う彼は、どこか冷めた目をしていて、噂話に興味があるようには見えない。
それなのになぜ、真相を知りたいのかという疑問は湧くが、どのみち玲奈が捨てられた花嫁であることは周知の事実なのだ。
事実を隠すことに意味はないし、部外者が面白おかしく脚色した噂話を彼が信じてしまうくらいなら、自分の口で真実を語りたい。
「わかりました。なるべくありのままにお話ししますけど、どうしても私の主観が入ってしまうことはご理解ください」
こんなことになってしまったのは、親に反発できない自分にも問題がある。
だから玲奈は、自分が悲劇のヒロインを気取るつもりはない。それでも傷付いているのも事実で、そのせいで事実と異なる話をしてしまうかもしれない。
玲奈のその前置に、悠眞はフッと息を吐く。
「まず最初にそう言えるだけでも、君の発言は信用に値する」
まだ知り合いと呼べる仲でもないのに、悠眞は玲奈の人柄を信じて耳を傾けてくれる。
ここしばらく、一方的に家族になじられ、陰で好き勝手に笑い者にされてきた玲奈にとって、それがどれほど嬉しいことか。
目頭が熱くなるのを堪えながら、玲奈はこれまでの経緯を語った。
彼に瑠依奈親子がなぜそんな仕打ちをしたのか理解してもらうために、これまでの両家の確執についても説明をしておく。
「……そういうわけで破談にはなりましたが、そのこと自体にはホッとしているんです」
玲奈は、一連の出来事をそう締め括った。
それは決して強がりなどではなく、玲奈の正直な思いだ。
両親に役立たずと叱責されるのは辛いが、その反面、よく知りもしない男性と結婚せずに済んで良かったと心から思っている。
悠眞は話の途中で一度だけ、「こんな状況になってもどうして家を出ないのか?」と、質問してきた。それにも正直に、両親にこれまでの給料を管理されていて自由になるお金がないことも伝えた。
「なるほど」
話を聞き終えた悠眞は、あいづちを打ったきり、深く考え込む。
「あの……」
沈黙に耐えかねた玲奈が、遠慮がちに声をかけると、彼がこちらへと視線を向ける。
「では、君の当面の悩みは、仕事と今後の居場所の確保といったところか?」
「はい」
「相手への未練や、なにか弁済を求めたいとかは?」
最初の質問に頷いた玲奈は、次の質問には首をよこに振る。
玲奈としては望んでいた結婚でもないので、瑠依奈に花婿を奪われたことには、なんの感情も抱いていない。
それは花婿に対しても同じだ。
新たに家族になるふたりが、幸せでいられるなら、それでいいと本気で思っている。
だから、今の玲奈に必要なのは、新しい仕事と居場所の確保だけだ。
玲奈の返事に、悠眞は顎を摩った。
なにかを考えこむ彼の表情は、どこか不機嫌な印象があり、あまり男性と対峙することになれていない玲奈を不安にさせる。
「あの、私、なにか……」
自分のなにかが、彼を不快なにさせているのでは……そう思って玲奈が口を開きかけたとき、悠眞が真顔でとんでもないことを言う。
「それなら、ビジネスとして、俺と結婚してみないか?」
「はい?」
聞き間違いだろうか?
常識的に考えてかなりありえない提案に、玲奈が戸惑っていると、悠眞が、真顔で同じ言葉をくり返す。
「ビジネスとして、俺と結婚してみないかと提案している」
「あの……そういった冗談は、困ります」
出会ってすぐではあるが、なんとなく彼がそういった悪趣味な冗談をいうタイプには見えないが、本気で提案しているとも思えない。
それなのに悠眞は、真顔で「本気だ」と、くり返す。
だけど玲奈としては、到底鵜呑みにすることはできない。
「実はパイロットになる夢を叶える際、親にある条件を出されたんだ」
玲奈の警戒を解くように、悠眞は表情を少し緩めて言う。
「条件?」
「ああ。仕事は好きにしていいが、その代わり三十代半ばには結婚するよう約束させられている」
「それは、政略結婚をしろとか、そういう意味でしょうか?」
自分の人生に重ね合わせて玲奈が言うと、悠眞が苦笑する。
「そんな壮大な話じゃないさ。ただ俺の性格上、好きなことに没頭すると他のことが疎かになるから、親としては、自由に生きるあまり、帰るべき場所を見失わないよう家庭を持てと言いたいらしい」
「そんな理由で?」
(せっかく夢を叶えたのだから、本人の好きにさせてあげればいいのに)
そうは思うけど〝本家に対抗して……〟なんて理由で、娘の気持ちを無視して縁談を進めてしまう玲奈の両親に比べればずっとまともな理由だ。
「まあ両親の本音としては、女嫌いの俺にそんな条件を出せば、パイロットになる夢を諦めて家業を手伝ってくれると期待していたのかもしれないがな」
その意見に、玲奈はなるほどと納得する。
彼の家の家業がなにかは知らないが、その方が納得がいく。
理解を示す玲奈に、悠眞が強気な表情を見せる。
「俺がそれくらいのことで、夢を諦めるわけがないのにな」
迷いのないその表情は力強く、言葉で語る以上の説得力がある。
パイロットになるには、かなりの努力が必要なはず。きっと彼は、こんな調子で、幾つもの試練を乗り越えてきたのだろう。
彼の生き方を清々しく思っていると、悠眞が話を本題に戻す。
「そんなわけで、家族の希望を無視してパイロットになった手前、そろそろ結婚すべきとは考えていたんだ」
「……その相手に、私を?」
悠眞は頷いて右手を差し出す。
「そうだ。行く場所がないなら、とりあえず一年という期間限定で、俺とお試し婚をしてみないか? それで気が向けば、そのまま俺と夫婦になるというのはどうだ? 対外的に俺の妻として振る舞ってくれれば、それ以上の関係を求める気はない。寝室は別でかまわん」
ビジネスとして結婚を提案する悠眞は、そのままの勢いで、テンポよく結婚の条件を並べていく。
「夫として生活費は出す。俺は仕事柄留守がちだから、君もそれほどストレスを感じることもないだろう」
確かに、仕事も行くあてもない玲奈にとって、それは悪くない条件だ。
とはえ、初対面の男性にそんな提案さえても対応に困る。
「鷹條さん、恋人とかは?」
まずはそこからと、玲奈は聞く。
彼は見るからのイケメンな上に、パイロットという職業も華やかだ。きっと女性から引く手あまただろうから、玲奈なんかにそんなことを頼む必要などないのではないか。
そう思って投げかけた玲奈の言葉に、悠眞は不愉快といわんばかりに眉根を寄せる。
「恋愛経験がないとは言わないが、没頭できる仕事があるのに、そんな面倒なもの必要ない。それに特定の相手がいるなら、初対面の女性にこんな提案するはずないだろ」
「なるほど、ごもっともです。でもだからって、突然結婚と言われても……」
戸惑う玲奈に、悠眞が、さらなる提案をする。
「それなら、まずは一年、結婚を前提としたカップルとして、俺と暮らしてみないか?」
「はい?」
「それで契約解消になっても、結婚に向けての努力はしたのだから、両親もとりあえずは納得してくれるだろう。その一年間で、君は、自立して生きていくのに必要な準備をすればいい」
悠眞はそう結論付ける。
晴れ晴れとした表情を見るに、彼自身、本気で結婚したいのではなく、とりあえず結婚に向けて努力したというパフォーマンスを家族に示しておきたいだけなのだろう。
(つまり、鷹條さんが本気で希望しているのは、期間限定の同居ということだ)
だとしたらそれは、玲奈にとって悪くない提案だ。
初対面の男性との結婚なんて考えられないけど、住み込みの仕事を見つけたと割り切って、一年の期間限定で彼と暮らすのであれば悪くない。
今の玲奈に必要なのは、当面の間の住まいと仕事なのだから。
でもそうなると、生真面目な玲奈としては、自分ばかり得してしまうのではないかという罪悪感が胸に湧く。
悠眞が男性としての魅力に溢れているので、なおさらだ。
「私……なんかが、その相手でいいんですか?」
彼が望めば、その条件で彼と一緒に暮らしたいと手をあげる女性は、いくらでもいるだろう。
おずおずと尋ねる氏らに、悠眞が「そんな君では困る」と、ピシャリと返す。
「えっ!」
氏ら自身、自分なんかが……という思いはあったが、提案者である彼の手のひら返しと言える対応に、玲奈は目を丸くする。
そんな玲奈の素直な反応に、悠眞は柔らかく笑って言う。
「お試しでも俺の妻を名乗るなら、間違っても『私なんか』なんて言葉は、口にしてもらいたくない。もっと胸を張って生きてくれ」
その言葉に、ハッとする。
これまで自分にそんな言葉をかけてくれる人なんていなかった。
それだけで十分だ。
(前に踏み出す強さがほしい)
玲奈だって、自分の人生がこのままでいいとは思っていない。
ただ幼い頃から両親に抑圧されて育ったことで、自我の出し方がわからなくなり、身動きできずにいたのだ。
今の悠眞の言葉に、背中を押してもらえたような気がした。
玲奈は、膝に載せていた手を強く握りしめて、声を絞り出す。
「い、今すぐに、完璧に気持ちを切り替えるのは無理かもしれません。でも、ちゃんと、鷹條さんの妻として胸を張れるよう努力します。……後、鷹條さんが、私を契約の相手に選んだことを後悔させないよう務めます」
玲奈の言葉に、悠眞が思わずといった感じで吹き出す。
「君はつくづく正直だな」
「だって……」
こういう時は、もっと強く出た方がいいのかもしれないが、噓のつけない性格なのだからしかたない。
玲奈が自分の不器用さに赤面していると、悠眞が言う。
「そういう性格だから、君となら契約とはいえ結婚を考えてもいいと思えたんだ」
「え?」
思いがけない言葉に驚く玲奈に、悠眞は強気な表情を見せる。
「女嫌いの俺にそう言わせたんだから、君は自分にもっと自信を持て」
「はい」
玲奈がそう答えた時、ラウンジの入り口が騒がしくなった。
「? ……っ!」
気になってそちらに視線を向けた玲奈は、息を呑んで身をこわばらせる。
「いたっ!」
「お前、俺たちにだけ恥をかかせて、こんなところでなにをしている」
険しい表情の花乃と幸平が、声を荒らげながら玲奈のもとへと駆けよってくる。
怒りの感情を剥き出しにしている両親に、玲奈が身を硬くすると、悠眞が立ち上がり彼女の前に立った。
「な、なんだっ」
幸平は、突然自分と玲奈の間に入ってきた長身な悠眞に驚き、腰を低くする。もとから男性にしては小柄な方なので、そうすると、ふたりの身長差がかなり際立つ。
「おい、玲奈っ! お前はこんなところでなにをしている」
悠眞には勝てないと本能で察したのだろう。
幸平は、悠眞と目を合わせることなく、体の位置を少しずらして玲奈を怒鳴りつけた。
その後ろに立つ花乃も、玲奈を批難する。
「そうよ。あなたのせいで、私たちが屈辱を受けているというのに、お前ひとりこんな場所で、のうのうと……。この役立たずっ!」
「ご、ごめんなさい」
玲奈が条件反射のように謝ると、ふたりがさらに勢いづこうとした。
「親の期待にも応えられずに……」
だけど悠眞の鋭い声が、続く言葉を遮る。
「もういい。それ以上話すな」
「な……」
幸平がひるむと、悠眞は玲奈へと向き直り、彼女の手を取って立ち上がらせる。
「あの、鷹條さん」
「親子だからと言って、不当に傷付けてくる人の言葉を聞く必要はない」
そう言うと、悠眞は玲奈の手を引いて歩き出す。
「な、お前は、なんだ……」
戸惑いの声を上げる幸平を、悠眞は鋭い視線で黙らせる。
「俺は、彼女のパートナーだ」
相手が玲奈の両親であることを承知で、悠眞は名乗る価値もないと言いたげに短く説明する。
「は? パートナー?」
幸平と花乃は、玲奈に視線で説明を求めてくるが、緊張で声が出てこない。
「……っ」
唇を震わせる玲奈は、悠眞に寄り添うことで自分の意思表示をした。そのやり取りに、花乃が金切り声を上げる。
「なに言ってるの、そんなどこの誰とも知らない男と結婚なんてっ! 千鶴さんたちに、なんて言われるかっ!」
「これ以上、私たちに恥をかかせるなんて許さんぞ」
幸平も加勢する。
騒々しい二人の声に周囲の視線が集まると、両親は自分たちに好奇の眼差しを向けられているのも玲奈が悪いと言いたげに睨む。
これまでの玲奈なら、両親にこれだけきつく言われれば、黙って従うことしかでになかった。
だけど今は、悠眞の言葉を信じて自分を誇りたい。
「お父さんとお母さんになんて言われても、私はこの人と結婚します」
声を震わせながらも断言すると、両親の顔が朱に染まる。
「な、なにを……。それなら勘当だ。二度と私たちの前に顔を出すなっ!」
激高する幸平の声が、店内に響いた。
その言葉が、ただの売り言葉に買い言葉なのか、言いなりにならない娘など不要と本気で思っているのかはわからない。
でも親に勘当を言い渡されても、玲奈の心はショックを受けるどころか開放感を覚えていた。
それが隣にいる悠眞にも伝わったのだろう。玲奈の肩にポンッと手を乗せて「行こう」と、促す。
「今までありがとうございました」
玲奈は両親に一度頭を下げると、悠眞と一緒にその場を離れた。