妖精渉る夕星に〜真摯な愛を秘めた外科医は、再会した絵本作家を逃さない〜
 部室棟に足を踏み入れると、ひんやりとした空気が肌を撫でる。中からは音が一切聞こえて来ず、静かな空間に三人の足音だけが響き渡っていた。

「でも意外だった。都築くんが教師になってるなんて」

 花梨が言うと、前を歩いていた都築が首だけ後ろに向ける。

「俺自身も驚いてます。とりあえず資格だけは取っておこうと思って、母校で教育実習をしたら案外楽しくて。それに……部室がちゃんと残っていたんですよ。その瞬間になんか感激しちゃって……今もこうして作品を書けているのは、やっぱりこの場所があったからで、だからこそ俺が守らないとって思ったんですよね」

 淡々と話してはいるが、それほどの強い意志がなければ、この場所を守るために教師になるという選択は出来ないのではないだろうか。

 二階に到着し、部室に向かって歩き始めると、まるで高校生に戻ったかのように記憶が蘇り始める。それは傷ついたあの日のものではなく、毎日のようにノートを握りしめて部室に通った、わくわくした気持ちだった。

「さぁ、どうぞお入りください……って言っても、ほとんど何も変わっていませんが」

 招き入れられ、ドキドキしながら足を踏み込む。そこはタイムスリップでもしたかのように、あの時のままだった。

 嬉しさのあまり言葉が見つからず、花梨は部屋の中を歩いて回る。部屋の真ん中にある机も、壁沿いに並ぶ本棚も、揺れるカーテンも、記憶から飛び出したかのようだった。

 部屋が夕焼け色に染まり始め、頭に思い起こされたのは、北斗と初めてのキスをしたあの記憶だった。あの時は彼とのキスにドキドキが止まらなかった。今は好きな気持ちが止まらなくなる。

 その時、本棚の一角に花梨の絵本と都築の本が並んで置かれていることに気付く。

「及川先生が寄贈してくださったんですよ。それまで書籍化作家が二人も文芸部から出ているとは知られていなかったみたいで、そのことを知った作家志望の学生たちが、廃部にしてはいけないって文芸部を復活させたんです」

 部誌を見てみれば、五年間の空白の後に新しいものが並べられていた。途切れたものが、再び繋がり始めた──自分と北斗の関係を重ね、何事も遅すぎることはないという及川先生の言葉を思い出して胸が熱くなる。
< 81 / 84 >

この作品をシェア

pagetop