辣腕クールな脳外科医は、偽りの婚約者を甘く堕として妻にする
 目まいが治まってからそっとまぶたを開けると、すぐ前に白いシャツの胸があった。男性に抱きとめられていたことに気づいて、あわてて体を起こそうとする。
「す、すみませんっ」
 けれど、男性は沙耶の腰に回した腕にぐっと力を込めた。
「あわてないで。落ち着いてゆっくり動いてください」
「は、はい。ありがとうございます」
 沙耶がまっすぐ立ったのを見て、男性はそっと手を離した。
「歩けますか?」
「はい、大丈夫です。本当にありがとうございました」
 沙耶は男性にもう一度お礼を言ってから、涼花に顔を向けた。
「あの、お店はどこにあるんですか?」
 涼花は右手を伸ばして道路の向かい側を示した。
「すぐそこですよ」
 彼女の指の先を見たら、白い壁に深緑のサンシェードと赤い大きなドアがカラフルな店があった。サンシェードには〝カフェ・プラチナ〟と白い文字で店名が書かれていて、店の前の小さな花壇では、ピンクと白のコスモスが風に揺れている。
「案内しますね」
 涼花に先導されるまま、沙耶は横断歩道を渡った。男性がドアを開けてくれて、沙耶、涼花、男性の順で店内に入る。
「いらっしゃいませー」
 白いシャツとグレーのスラックスにダークブラウンのカフェエプロンをつけた六十代半ばくらいの女性が、笑顔で振り返った。エプロンと同色のキャスケットから覗く髪は、赤みがかった茶色に染められている。女性は沙耶から涼花に視線を移して、くしゃりと笑みを崩した。
「あらぁ、涼花ちゃんのお知り合いですか?」
「ううん、れっきとしたお客さまですよ。さあ、こちらへどうぞ」
 涼花に促されて、沙耶はカウンターに近い三人掛けの丸テーブルに着いた。先程の女性が紙おしぼりと水の入ったグラスを運んでくる。胸ポケットには〝チエ〟と書かれたネームクリップが留められていた。
「メニューはこちらですよ」
 もうひとり、チエと同じくらいの年齢で、同じくダークブラウンのエプロンとキャスケットを身につけた女性が、沙耶の前にメニューを置いた。彼女のネームクリップには〝ヒーコ〟と書かれている。
 サンドイッチやスパゲティ、カレーライスなどの食事メニューもあったが、食欲がないのでドリンクのページを開いた。ブレンドコーヒー、ココア、紅茶のほかに、カモミールティー、ローズヒップティーなどが並んでいる。
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