辣腕クールな脳外科医は、偽りの婚約者を甘く堕として妻にする
「実は一週間前に急にひとり辞めちゃって、すごく困ってたんです。食品メーカーで働いていた即戦力のあなたに、ぜひ若者向けメニューの開発をお願いしたいのっ」
 涼花の勢いに押されて、沙耶は少し背を反らした。涼花の申し出は嬉しかったが……正直に答える。
「あの、実は私、商品開発をやりたかったんですが、配属されたのは総務部で。五年間ずっと事務的な仕事をしていました。ですので、メニュー開発の経験はないんです」
「でも、食べるのも作るのも大好きなんですよね!? だったら、うちにぴったりですっ。あ、勤務条件とか知りたいですよね。今ちょうどネットに求人広告を出してて――」
 涼花は「ちょっと待ってね」と言って、トートバッグからスマホを取り出した。そのとき、涼花の後ろで壁にもたれていた男性が、口を開く。
「いきなり強引すぎないか?」
 スマホを操作していた涼花は、顔を上げて男性を振り仰いだ。
「だって、チャンスは逃したくないもの!」
 涼花は明るく笑って、スマホの画面を沙耶に見せた。
「どうですか? 近くの病院とか、地域の施設に合わせて土曜日は営業してるんですが、日曜日はお休みです。平日に交代で一日お休みが取れますよ。それから、シャツとエプロンとキャスケットは指定のものを着用してもらいますが、あとは自由です。さらに、なんとまかないランチつきなんです!」
 涼花に示された求人広告を見ると、確かにそのとおりのことが書かれていた。給与や待遇なども申し分ないうえに、前から興味があったメニュー開発を担当させてもらえるのだ。
 沈み込んでいたはずの心に、気づけばワクワクした気持ちが芽生えていた。
 沙耶が顔を上げると、涼花が勝ち誇ったような声で男性に言う。
「ほら~、彼女だって、乗り気になってくれたみたいよ?」
 涼花の大きな笑顔につられて、沙耶の頬がほころんだ。
「はい。私でよければ、ぜひよろしくお願いします」
「やった!」
 涼花はパチンと両手を合わせた。
「私はさっきも言ったけど、神谷涼花。このカフェのオーナーシェフです」
「代田沙耶と言います」
 沙耶はぺこりとお辞儀をした。
「オーナーシェフといっても、私はあまり料理はしなくて、ドリンクが専門なんです。紅茶マイスターとコーヒーマイスター、それにハーブティーブレンドマイスターの資格を持ってるから、ドリンクのことならなんでも聞いてね」
 続いて涼花は先ほどの三人の店員、チエとヒーコ、ノリを紹介する。
「みんな呼ばれたい名前で名札を作ってるんです。そのほうが気分が明るくなるかなって思って。ヒーコさんは本当は〝ヒロコ〟なんですけど、子どもの頃の愛称が〝ヒーコ〟だったから。ノリさんは本当は〝ノリヤス〟なんだけど、ご本人が〝ノリさん〟って呼ばれたいんですって」
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