鬼上司のバニーガール ~部長、あなたが撫でているのは愛兎ではなくあなたの部下です~
 今日も例に漏れず、上司から急ぎの仕事を振られた梢は、周囲に構う余裕もなく、己の仕事に向き合っている。あまりに作業に集中しているから、すでに定時を過ぎていることにも気づかない。

 残って談笑していた社員もとうとういなくなり、いつの間にやらこのフロアに残るのは梢とあともう一人だけになっていた。

 そのもう一人が険しいオーラを放ちながら梢の方へと近づいている。しかし、そのことにも梢は気づかない。

「牧野」

 突然、背後から放たれた低い声に、肩がびくりと跳ね上がる。集中しているところに声をかけられたのだから無理もない。条件反射でびくついてしまった。

 少ししてから脳の処理が追いつき、声の主が誰なのかを理解する。しかし、それがかえって梢を恐怖へと陥れた。

(こ、この声は……)

 この半年の間に何度も耳にしたその声は、もはや目で確かめなくとも誰のものかわかってしまう。抑揚はほとんどなく、低く芯のある声。誰もが恐れるあの人の声で間違いない。

 梢はその人物を想像し、緊張からごくりと唾を飲み込む。どうか違う人であってくれと願わずにはいられない。

 梢はまるでホラー映画のワンシーンのように、ギギギと音がしそうなほどぎこちなく左後方へと振り向いた。

 すぐに濃紺のスーツが目に飛び込んでくる。椅子に座った状態だから、見えているのはちょうど腰のあたり。そこから恐る恐る視線を上げていけば、やはりそこには想像していた人物の顔があった。

(ひっ!? この顔は絶対になにか怒ってるやつ……きれいな顔だから余計に怖い……)

 よく通った鼻筋に切れ長の目。すっと真っ直ぐ横に伸びた並行眉は、今は少しだけ根元が寄せられている。各パーツは左右対称に配置されており、どの角度から見ても美しい。観賞用にはもってこいだと遠巻きにこの男を見つめる女性社員が多いのも頷ける。

 だが、いくら美しい顔を持っていたとしても、この男に本気でアタックしにいく者はまずいないだろう。仮にいたとしても即玉砕だ。

 なぜなら、この男は鬼と呼ばれるこの部の部長・宮沢(みやざわ)孝仁(たかひと)なのだから。
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