この夜の意味〜声にできない恋を隠したら、完全無欠な御曹司の本気スイッチ入りました〜(旧:RISKY〜不敵な御曹司との恋は避けるべき〜)
彼の真っ直ぐな視線を浴びることもなくなり、ようやく自分の姿をじっくり確認することができる。でも私にはやはり、彼のいう「違い」はよくわからなかった。
ネクタイの結び方を思い出そうと試みるが、予想通り全くもって覚えていない。私は自力で解決するのを早々に諦めて、その手にはスマホを握りしめていた。
東条グループに潜り始めてから、初めてまとまった時間が取れた。外はしっかり明るく、限られた本数しか走らないバスもまだ普通に動いている。その時間をどう使うかは、私の中で考える必要もなかった。
衣装を手に持ったまま、自然とその足は最寄り駅へと向かう。そこから電車を二度ほど乗り継ぎ、停車するたびに周りから人影は消えていった。
人でごった返していた主要駅とは違い、都心から離れたこの駅は、明るい時間でも人がまばらだ。いつものように「ケアホーム桃園行」とだけ書かれた、年季の入った看板の前でただじっと立ち続ける。
周りは田んぼや家々に囲まれ、目立って高い建物もないから、心なしか透き通った雲ひとつない青空もいつもより大きく感じられる。恐らく見る人が見れば、殺風景にも思えるのだろう。でも、こうして春ののどかな風に吹かれながら、何度も見てきたこの景色は、張り詰めた緊張の糸を緩めるものになってくれる。
以前ここに来たときは、まだ雪がしんしんと降りしきっていた。まさか宗高のそばで働くようになるとは、思ってもいなかっただろう。白く化粧がかっていたこと以外、どこを見ても目に映る景色はそのときとすべて同じだ。どれだけ敵の中に入ろうとも、私の芯にある部分は変わりようがない。と確かな安心感を得る。
その見慣れた景色が30分ほど続くと、父が過ごす「ケアホーム桃園」が見えてくる。ここでは自力で生活を送ることが難しい入居者の方々を、ヘルパーさんたちがお世話してくれている。
彼らに安らぎを与えるためであろうか。青々とした木々や色とりどりの花々が一番に出迎えてくれた。でも今日は見覚えのない花も多く、時間の流れを感じて少し心苦しい気持ちになる。
「お世話になっています。望月の娘です」
「ああ、望月さん。えーっと、6号室ですね」
「ありがとうございます」
言われた部屋へ向かうとネームプレートに「望月文宏」と父の名前が書かれている。
私は必ず父と会う前に、嘘でも笑顔をつくるようにしている。表情の違いなんてわかるかどうかも定かではないが、自分の気が済むのならそれで良いのではないかと思う。
「父さん」
そこには真っ白なベッドが一つ置かれていて、髪の色素もすっかり抜けてしまった父が天井を見つめながら静かに横たわっている。
「文乃…」
「文乃だよ。ごめんね、なかなか会いに来れなくて」
「文乃…」
かすかに聞こえるか細い声が私の名前を何度も呼ぶが、その目は本人の顔すら見ていない。
「窓開けようか。外の風、気持ち良いよ」
いつ訪れても私の名前をただ声にするだけで、会話という会話はかれこれ何年もできていない。
だからいつも彼の顔が見える位置に腰掛けて、延々と話を聞いてもらう。いつまで経ってもぴくりともしない父の表情を見ると、私に課せられた使命はやはり一つしかないのだと、ひどく痛感させられる。
「わたし、絶対にやり遂げるから。父さんをこんな風にさせたやつが、平静と生きてるなんて許せないもん」
ネクタイの結び方を思い出そうと試みるが、予想通り全くもって覚えていない。私は自力で解決するのを早々に諦めて、その手にはスマホを握りしめていた。
東条グループに潜り始めてから、初めてまとまった時間が取れた。外はしっかり明るく、限られた本数しか走らないバスもまだ普通に動いている。その時間をどう使うかは、私の中で考える必要もなかった。
衣装を手に持ったまま、自然とその足は最寄り駅へと向かう。そこから電車を二度ほど乗り継ぎ、停車するたびに周りから人影は消えていった。
人でごった返していた主要駅とは違い、都心から離れたこの駅は、明るい時間でも人がまばらだ。いつものように「ケアホーム桃園行」とだけ書かれた、年季の入った看板の前でただじっと立ち続ける。
周りは田んぼや家々に囲まれ、目立って高い建物もないから、心なしか透き通った雲ひとつない青空もいつもより大きく感じられる。恐らく見る人が見れば、殺風景にも思えるのだろう。でも、こうして春ののどかな風に吹かれながら、何度も見てきたこの景色は、張り詰めた緊張の糸を緩めるものになってくれる。
以前ここに来たときは、まだ雪がしんしんと降りしきっていた。まさか宗高のそばで働くようになるとは、思ってもいなかっただろう。白く化粧がかっていたこと以外、どこを見ても目に映る景色はそのときとすべて同じだ。どれだけ敵の中に入ろうとも、私の芯にある部分は変わりようがない。と確かな安心感を得る。
その見慣れた景色が30分ほど続くと、父が過ごす「ケアホーム桃園」が見えてくる。ここでは自力で生活を送ることが難しい入居者の方々を、ヘルパーさんたちがお世話してくれている。
彼らに安らぎを与えるためであろうか。青々とした木々や色とりどりの花々が一番に出迎えてくれた。でも今日は見覚えのない花も多く、時間の流れを感じて少し心苦しい気持ちになる。
「お世話になっています。望月の娘です」
「ああ、望月さん。えーっと、6号室ですね」
「ありがとうございます」
言われた部屋へ向かうとネームプレートに「望月文宏」と父の名前が書かれている。
私は必ず父と会う前に、嘘でも笑顔をつくるようにしている。表情の違いなんてわかるかどうかも定かではないが、自分の気が済むのならそれで良いのではないかと思う。
「父さん」
そこには真っ白なベッドが一つ置かれていて、髪の色素もすっかり抜けてしまった父が天井を見つめながら静かに横たわっている。
「文乃…」
「文乃だよ。ごめんね、なかなか会いに来れなくて」
「文乃…」
かすかに聞こえるか細い声が私の名前を何度も呼ぶが、その目は本人の顔すら見ていない。
「窓開けようか。外の風、気持ち良いよ」
いつ訪れても私の名前をただ声にするだけで、会話という会話はかれこれ何年もできていない。
だからいつも彼の顔が見える位置に腰掛けて、延々と話を聞いてもらう。いつまで経ってもぴくりともしない父の表情を見ると、私に課せられた使命はやはり一つしかないのだと、ひどく痛感させられる。
「わたし、絶対にやり遂げるから。父さんをこんな風にさせたやつが、平静と生きてるなんて許せないもん」