この夜の意味〜声にできない恋を隠したら、完全無欠な御曹司の本気スイッチ入りました〜(旧:RISKY〜不敵な御曹司との恋は避けるべき〜)
彼は慣れた手つきで助手席シートに左腕を回し、大きな車体を限られたスペースに難なく収める。そのときサイドミラーに映る彼の顔が初めてこちらを向く。

私は不自然に顔を背けることもなくしっかりと正面を見つめる。この態度なら変に胸の誤作動を悟られる心配もないだろう。彼がこちらを向く前に夢から覚めることができたのが、不幸中の幸いだ。

そう、これで良かったんだ。私たちは決して結ばれて良い運命ではないのだから。不思議と天からもそう言われているような気がした。

なにか吹っ切れたような清々しさの中、彼の大きな歩幅に続くように私の足取りもとても軽い。履き慣れない男用の革靴もとても軽く感じられた。

まるで駒ではない他の何かのように意識して距離を取ることもない。いつも通りに社長の後ろをぴたりと歩けている。その事実が私を深く安堵させる。

20年だ、20年。

さっき感じた胸の痛みなんてかすり傷なくらい、これまで抱えてきた傷の方がもっと深いし、もっと痛い。

大丈夫。

リスクを見つければ、それを避けたら良いだけの話。そうやって彼の元でもずっとやってこれたじゃないか。 

私はこれまで積み上げてきた実績と経験を担保にそう言い聞かせる。だって、私に残された選択肢はそれ以外考えられないのだから。

それにしても、なぜ私は彼の家に招かれているのだろうか。自分の家か彼の家か、どちらかと言われたら自分の家だけは間違っても選べない。

あの家には私たち家族が背負う深い痛みがずっと残っているんだから。せめて私だけでもその事実を忘れないでいるために一人で何年も守ってきた。東条の血を引く人間が、足を踏み入れていい場所では決してないのだ。

招かれた理由を一向に追求できないまま、長く続く廊下をひたすら歩き、エレベーターのパネルにうつる数字はどんどん重ねられていく。

でも辿り着くまでの道のりが私の頭を冷やす時間になってくれるから、不思議ともどかしさよりも救われる感覚の方が強い。その数字が最上階の50階で止まるころには、先ほどの異常が嘘であったかのように、私の胸も何も感じなくなっていた。

彼はいくつものドアを脇目も振らずに通り過ぎ、とある部屋の前で立ち止まって4桁の数字を入力している。

すると静まり返った内廊下に

「ピー」

という音が響き渡る。

あれ?彼は私を信用してないんじゃなかったのか?いくら彼でも一度不信感を感じた人間を、わざわざパーソナルスペースに入れようとするとは思えない。

その音は、まるで彼の閉ざされた心が再び開くような、そんな感じがした。やはり私はあの会食のおかげで、断罪を受けたことになったのだろうか。

要らぬことを考えてしまったせいで、すっかり尋ねるタイミングを逃してしまい、ここまでのこのこと着いてきてしまった。

彼の顔を見たのは、サイドミラー越しのほんの一瞬。それ以降、彼は振り向くこともなかったから、表情で判断することも不可能だった。本当に私はつくづく馬鹿なことを考えていた。

でもまたこうやって彼の信頼を取り戻すことができているのだから、結果オーライということにしておこう。
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