リシェル・ベッカーが消えた日〜破滅と後悔はすぐそこに〜

「お父様? 私、とっても忙しいの。手短に願いますわ」

 翌朝、朝食を終えたフランクが執務室で書類を整理していると、エミリがやってきて、対面にあるソファにどかっと座った。同じ屋敷で暮らしているはずなのに久しぶりに顔を合わせた気がする。
 長引かせるのも面倒だと、フランクは彼女の前にマーチング商会の注文書を差し出した。

「これは、私のドレスの注文書ではありませんか。支払いはギルバート家が持つとベンジャミン様も了承してくださっていますし、なにか問題でも?」
「お前はいい眼を持っているな。マーチング商会のレースは一級品だ」
「ふふっ、やはりお父様もご存知でしたか。レースは繊細で美しいものに限りますわ!」
「レースを使うのは構わない。だが、問題はそのドレスだ」

 そう言ってもう一枚、ドレスのデザイン画をエミリに見せた。それがなにか?ときょとんとした表情で首を傾げる彼女にフランクはさらに続ける。

「ドレスの勝手など知らんが、どう見ても腹が大きくなる妊婦が着るには腹部が窮屈ではないか?」

 プリンセスラインのドレスは、腰回りを細くすることでスカートのボリュームを魅せる。よって、必然的に腹部を圧迫することになるのだが、身籠っている妊婦であれば普通は避けるべきものだ。
 エミリは現在、妊娠六ヶ月が経過したところ。デモ騒ぎで結婚式が先送りにされているとはいえ、妊娠三ヶ月の頃にオーダーしたものがマタニティドレスではなく、身体のラインに沿った細身のドレスだったことに疑問に思った。

「『出産前に結婚式を挙げたい』と言っていたのはお前だった。これでは出産後に着ることになるぞ。……それともエミリ、お前は理解したうえでわざとこれを注文したのか?」
「……だったらなんですの? 私がどんなドレスをオーダーしたところで、費用を出さないお父様には関係のないことではありませんか」

 フランクの問いかけに開き直って答えるエミリは、鼻で嘲笑った。

「いくつもの商品を選び、商談を進めるお父様ならおわかりでしょう? マーチング商会のレースを存分に活かすのはウェディングドレス。そしてレースやプリーツをふんだんに使ったプリンセスラインこそが美しいのですわ」
「ではこれは? 他のドレスも見てくれだけで選んだと言うのか」

 そう、エミリが発注した腹部を圧迫するドレスはウェディングドレスだけではなかった。
 追加で差し出された発注書には、Aラインドレスだけでなく、スレンダーな体型が際立つマーメイドドレスが数点記載されている。しかも侍女の話では、今着ているドレスも制止を振り払ってコルセットを巻いているという。

「どれも素敵でしょう? 次期公爵夫人なのですから、このくらい着飾らなければ、他と示しがつきませんもの。マタニティドレスはもう少し先で良いのです」
「お前は自分の立場をわかって……?」

 エミリが身籠っているのはギルバート公爵家の跡取りだ。食事も服装も、日常生活は人一倍気にかけなければならない。それこそ、腹部を圧迫するドレスなど言語道断。しかし、エミリは周囲の制止に耳を傾けることなく勝手に注文した。執事によれば、食事も妊娠前とは変わらず、肉やワインも嗜むと聞く。
 その時、フランクの頭にはひとつの仮説が浮かんだ。
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