リシェル・ベッカーが消えた日〜破滅と後悔はすぐそこに〜

 ヘレナが戻ってきたことに気付くと、テオバルドは口を開いた。

「もういいのか。ここへはしばらく来られないぞ」

 これから二人は、グランヴィルの中でも王都から遠い辺境伯領へ向かう。アルカディアからは二ヶ月ほどかかるだけでなく、領地経営に関わるとなると、簡単に出かけることは難しい。

「ええ。私はもう、ここに来ることはないと思います」

 小さく笑みを浮かべたヘレナに、テオバルドは眉をひそめる。すべてを捨てる決断をした彼女の意志を称えるべきだとわかっていても、どこか寂しそうな色が見えた。
 しかし、すぐにヘレナが「違いますよ」と慌てて訂正する。

「アルカディアで過ごした時間はかけがえのないものではありますが、今はあなた以上に大切なものはございません。リシェル・ベッカーが消えた日から、私は家も国も捨てる覚悟をしました。悔いも未練も、すべて解消したかと問われたら答えられませんが、それでもきっと、これからテオバルド様と過ごす中で、静かに消えていくのだと思うのです」
「ヘレナ……」
「だから、私はこの決断を後悔していません。私は、あなたと幸せになりたいです」

 涙を浮かべ、にっこりと笑うヘレナ。ここ数年、浮かべることができなった笑顔は、花が咲いたように晴れ晴れとしたものだった。
 テオバルドは引き寄せ、しっかりとヘレナを抱きしめる。
 墓石の上に置かれたエメラルドの指輪が、二人を見守るようにきらりと瞬いた気がした。

【リシェル・ベッカーが消えた日〜破滅と後悔はすぐそこに〜】 完
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