必要悪の公女さま

第一話




「ククルーシャ。お前との婚約は今日をもって解消する」

 金の髪と青い瞳。古の聖者を象った神々しい見目をする彼の隣には、それにふさわしい聖女が寄り添っていた。

(私とは、大違い)

 帝国から忌み嫌われる家門の血筋だと、ひと目でわかる"黒曜の髪"と"柘榴の瞳"。

 いつも鏡を見るのが嫌だった。
 自分の姿がひどく恐ろしかった。

 "悪家ヴェルセルグの徒花"

 なんて皮肉な異名。そう呼ばれ続け、心を許せる人なんていなかった。
 いや、少し違う。心を許せると思っていた唯一の友だちも、この瞬間に失ってしまった。

 けれどこの裏切りは、とても些細なものだったのだと後々知ることになる。
 親友だと思っていた人に婚約者を奪われるだなんてこと、この先の悪夢を考えれば絶望ですらなかった。


 ――いつも、考える。
 こんなことになって、何度も。

「あの頃のヴェルセルグが、いまも帝国にあったのなら……」

 偉大なる悪によって守られていた平和は確かに存在していた。
 私は深く理解したのは、"そのとき"を迎えてからだった。


 ***


「跪きなさい」

 ああ、やっとここまで来たのね。

「ひいいっ……お前があの、魔公爵家の、悪女っ!」

 目の前で尻もちをついた男が、こちらを見上げて顔を青くさせている。
 そんな彼に、にこりと挨拶がてらの笑みを向け、スカートの端を摘んでおじきをした。

「私のことをご存知でしたか。とても光栄です」
「ゆ、許してくれ! ちょっとした出来心だったんだ! 本気じゃない、人身売買なんて金は儲かるけどリスクが大きすぎるし――」
「そういう言い訳は、牢の中でたっぷり聞きますから」

 静かに片手を上げると、すぐ横を小さな突風がすり抜ける。それは『影』と呼ばれる、こういうときにお手伝いをしてくれる優秀な協力者たちだ。

 帝国の憂いをはらい、不安の種をいち早く見つけ出し、危険な芽は摘み取る。
 それが私たち"悪家ヴェルセルグ"とファーラス皇室との間に交わされた契り。大切なお勤めだ。

 影によって拘束された男がいなくなり、私は薄暗い路地にぽつりと一人残される。

「お疲れ様。今日も見事な悪女面だったよ」

 背後から靴音が響き、楽しげに話しかけて来たのは白銀の髪を揺らした青年。月明かりに反射した姿はいつぞやに囁かれていた『月光の麗人』の名にふさわしく、綺麗だった。絶対に本人には言わないけれど。

「貴様、悪女面とはなんだ悪女面とは!! 主に向かってなんたる無礼をっ、煌々としたご立派なお姿の間違いだろう!」
「あ〜あ〜、良い子ちゃんは相変わらずうるせ〜し。いま何時だと思ってんの、ど深夜なんだけど」
「そういう君も、さっきまで狂人のごとく暴れ回っていたけどねぇ。いやー、さすが若者」

 わらわらと建物の影から出てくる青年たち。相変わらずなやり取りを見ていると、さきほどまであった緊迫した空気が和らいでいく。
 今ここで小さな諍いがあったことも全く気にしていない様子だった。

「そろそろ帰りましょうか。街の住民を起こしてしまう前に」

 私は彼らに向かって笑いかけ、月明かりに照らされた表の道へと進んでいく。

「ちょっと待って」

 大通りに出たところで、手首を取られた。
 振り向くと眉をひそめた彼の姿があり、その視線は足元に向けられている。

「その左足、捻ってない?」
「……ううん?」
「どうしてバレバレな嘘をつくかな。さっきターゲットを見つけて、すぐに屋根から飛び降りたのが原因でしょ」
「でも、ちょっと痛いぐらいだから」

 そんな言い訳をこぼす私に、彼は一瞬だけ無表情になる。それからなにを思ったのか、にこりと作り笑顔を浮かべた。
 次の瞬間、私の体は宙を浮き――というか、見事に抱き抱えられていた。

「さ、頑固者を連れてさっさと帰るよ」
「ちょ、うそっ、この状態で!? 降ろしてシルヴァン!」
「落ち着いてください主さま……そやつがお運びするのには些か納得がいきませんが、ご自分のお体を労わってください」
「労るもなにも、本当に足を少し捻っただけだけど!?」

 納得がいかない私に、後ろを歩く二人からも声がかかる。

「い〜じゃん、屋敷までソイツに乗ってけばさ〜」 
「それがいい。勤め後で疲れているだろうから、軽症でも足に負担をかけるのはおすすめしないよ。なんなら僕も乗せてほしいくらいさ」

「ほら、医術者もああ言ってる。君のそれなりにある重量で足に負荷がかかるといけないって」
「それはつまり遠回しに重いって言っているのかしら!?」

 やっぱりこのままシルヴァンに運ばれるのは嫌だ。そう思って軽く胸を押し返せば、さらにぎゅっと私を抱えた腕に力が入る。

「離さないよ」
「〜〜っ!」

 耳の近くで囁かれたものだから、驚いて体の力が抜けてしまう。
 頬が熱くなるのを感じていれば、彼は口元に小さく笑みを浮かべて悠々と歩き出した。

 いまだ濃い闇に覆われる街中を、信頼する人たちと共に帰路に着く。
 すっかり自分の家だと思えるようになった、悪家ヴェルセルグの屋敷へと。

 ……意識しちゃ、ダメなのに。
 逞しく抱える彼の温度を感じて、私は頭の中で考える。

 もう後悔は何一つもしたくないと、これまでたくさんの未来を変えてきた。
 けれど、どんなに抗っても変わらないものというのもこの世にはあると思う。
 人はそれを運命と呼んだり、必然と言ったりする。

(シルヴァンには、もうすぐ相応しい相手が現れる。本当に優しい心をもった、正真正銘の聖女のようなあの人が)

 それだけは変えてはいけないのだと心に決めている。
 もしそのときがきたら、私は彼を手放さないといけない。

 手放すだなんて偉そうに言っているけれど、シルヴァンなら私の前から姿を消すことなんて容易いだろう。

 だから、そのときが来るまでは。

(……少しだけ、甘えてもいいかな)

 体を縮めて、私はそっと彼の胸に頭を寄せた。

「もっと暴れると思えば、案外素直だ」
「うるさい」
「でも、たまには大人しくされるがままの君を見るのも気分がいいな」

 楽しげな声が頭上から降ってくる。

「一応ではあるけど、私があなたの主だって忘れていない?」
「まさか。こうして俺を好きに使えるのは、君だけだよククルーシャ」

 こんなことを言っているけれど、彼は決して本心を見せない。
 いつも涼しい笑みを浮かべて、なんでもないと言いたげに軽口をこぼすのだ。

 そのたびに、胸の奥が詰まるのを感じる。
 私がどんな想いを抱えているのかなんて、シルヴァンはきっと知らないのだろう。

 それでいい、ずっと知らないままでいて。

 悪い女だと思われるのは誉でも、あなたに面倒な女だと思われるのだけは、まっぴらごめんだわ。

< 1 / 7 >

この作品をシェア

pagetop