恋のリハーサルは本番です

第152話 悪意ゼロ、破壊力MAX

稽古場の空気は、なぜかやたらと平和だった。

読み合わせも順調。

佐藤の演出も冴え、神埼も満足そうに腕を組んでいる。

──にもかかわらず。

(……なんで俺、こんな落ち着かないんだ)

蓮は椅子に座ったまま、無意識に視線を前へ送っていた。

水無月あかり。

台本に書き込みをしながら、静かに頷いている横顔。

(見るな)

そう思うほど、目が行く。

その視線に──

「はい、ストーップ!」

元気な声が割り込んだ。

姫野亜理沙だった。

「すみません佐藤さん!
 ちょっと確認いいですか?」

「なんだ?」

「このシーンのヒロインなんですけど」

亜理沙は台本をぱたぱたと振る。

「この時点で、相手役のこと──
 もう好きですよね?」

稽古場が、一瞬で静まった。

「……姫野」

佐藤が低く呼ぶ。

「それは感情解釈の話で──」

「ですよね!
 だから確認したくて!」

全く引かない。

「だってこれ、
 “好きじゃない人に向ける間”じゃないじゃないですか?」

ぱちぱちと瞬きをして、今度はあかりを見る。

「水無月さん、違います?」

あかりは一瞬だけ言葉に詰まった。

「……脚本上は」

前置きをしたうえで、静かに言う。

「ええ。
 この時点で、ヒロインは自覚しています」

「ほらー!」

亜理沙が手を叩く。

「やっぱり!」

そして──
とんでもない方向へ首を傾けた。

「じゃあ、相手役が誰かは、
 もう水無月さんの中では決まってるってことですよね?」
(来た)

蓮の背筋が、ぞくりとする。

翔が、ニヤリと笑った。

「おい姫野。
 それ、今ここで聞く話?」

「え?ダメですか?」

悪意ゼロの顔。

「だって脚本家さんって、
 一番“恋を分かってる人”じゃないですか」

その言葉に、あかりの手が止まる。

「……姫野さん」

「はい!」

「今は、作品の話を」

「ですよね!だからです!」

ぐいっと一歩、前に出る。

「私、役作りのために知りたいんです!」

稽古場中の視線が集まる。

「ヒロインって、
 “選ばれる覚悟”と“選ばない優しさ”、
 どっちを持ってる人なんですか?」

空気が、張りつめた。

蓮は息を止める。

(やめろ……)

あかりは、ゆっくりと視線を落とし──
そして、正直に答えた。

「……両方、です」

亜理沙の目が、きらっと光る。

「え、最高じゃないですか」

そして、追い打ち。

「じゃあ、
 選ばれたい側は、待ってるだけじゃダメですよね?」

沈黙。

それは、誰に向けた言葉だったのか。

翔が楽しそうに口を挟む。

「姫野、君ほんと爆弾魔だな」

「え、褒め言葉ですか?」

「……半分は」

佐藤が頭を抱える。

「休憩だ!
 姫野、質問はあとにしろ!」

「はーい!」

元気に返事をして、亜理沙は蓮の横を通り過ぎた。

その瞬間。

「桜井さん」

小声で、にこっと笑う。

「……沈黙、逃げじゃないですけど」

蓮の耳元で、囁いた。

「踏み出さない沈黙は、
 だいたい後悔するやつです」

そのまま去っていく。

(なんなんだ、この子……)

心臓が、うるさい。

視線の先で、あかりが一人、ペンを握りしめていた。

(……聞こえてたよな)

無邪気な正論。

悪意のない爆弾。

それは確実に──
二人の「越えない線」を、ぐらつかせていた。
翔が、肩をすくめて言う。

「なあ蓮」

「……何だよ」

「若いって、怖いな」

そして、楽しそうに付け足す。

「一番、真実だけ投げてくる」

蓮は、何も返せなかった。

次に誰が動くか。

それはもう、
偶然や無自覚では済まないところまで来ていた。
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